「クボタショック」から10年――因果関係は80年代から
2015年7月17日10:42AM
「クボタショック」から10年。6月27、28日、「アスベスト被害の救済と根絶を目指す尼崎集会」が行なわれた。クボタショックとは2005年6月、青石綿などを扱っていたクボタの旧神崎工場周辺で従業員多数が癌などで死亡していたことを『毎日新聞』が明らかにし、工場周辺で中皮腫に罹患した住民3人(早川義一さん、土井雅子さん、前田恵子さん)が勇気ある記者会見を行なったことだ。3人はその後他界した。
「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」の古川和子会長は「あれからも会員が増えていますが被害が広がっている証拠。1000万トンも輸入したアスベストは日本で今も消えずに残っています」などと話した。
昭和二〇年代から工場近くに住む砂場明さん(68歳)は2年前に悪性胸膜中皮腫が判明。癌が脊髄に転移して余命1カ月と宣告され、車椅子で参加し、「周辺住民の救済がクボタの工場から1・5キロで切られているが私は1・7キロ。1・5キロで空中飛散がぴたっと止まるわけがない」などと訴えた。
アスベスト被害の疫学調査を進める奈良県立医科大学の車谷典男教授は「最新調査では工場から300メートル以内の住民女性の中皮腫発生率は全国平均の63・9倍もある」と話した。
10年前にスクープした『毎日新聞』の大島秀利記者は「尼崎の労災病院が80年代初頭にクボタと癌死亡の因果関係を明記した証拠カルテを入手したが、守秘義務を盾に医師は話そうとしない。公的な病院の責任放棄では」と指摘した。
主催事務局の飯田浩氏は「多数の参加で関心の高さを示していただいた。現在、国内のアスベストの大半が建材として建物に残る。安易な解体を許せば被害は拡大する」と指摘した。恐ろしい中皮腫の潜伏期間は40年とも50年とも言われる。アスベストとの戦いはこれからだ。
(粟野仁雄・ジャーナリスト、7月3日号)