「安保法制」はおかしいです。(5)
2015年7月27日12:28PM
「もともと田んぼ」「基地の周りに行けば商売になるということで人が住みだした」――自民党議員らによる6月25日の文化芸術懇話会で、作家の百田尚樹氏はこう放言したという。後日、自身の発言に批判を受けた百田氏は、『日刊SPA!』(Web版7月9日)で「基地というビジネスチャンスがあったからこそ、基地周辺に人が移り住んできた」と持論を重ねた。
槍玉に挙がった沖縄・宜野湾市の米軍普天間飛行場は住宅の密集地区にあり、騒音をめぐる「第2次普天間爆音訴訟」が進行中だ。原告団(約3400人)の意見陳述書作成に関わる中で、私はさまざまな証言を聞いた。戦前から本籍地を宜野湾に置く人には、戦時中に農地を奪われ、「生活」と「仕事」の場を一挙に失った人も多い。たとえば、Aさんの故郷は今もフェンスの中にある。返還を信じて普天間基地周辺に住み、「軍作業員でも何でもやった」と言う。Bさんは「ここはうるさい。孫たちは那覇に引っ越してしまった」と話す。Cさんは「子育てがあり、実家や職場の近くにいたい」として、基地周辺の住宅地に留まっている。
軍事基地は本来の生業を潰してできたものであって、これによる経済を「ビジネスチャンス」と呼ぶのは短絡的な発想だ。周囲の人や環境との関係から個人は生活の「場」を選択できるが(憲法第22条)、現地ではその権利も制限されている。
現政権が「国民の安心・安全」を必死に訴えても、その薄っぺらな人権感覚は随所で浮かび上がってくる。「米国の押しつけ」として憲法改定を叫び、かたや安保法制等では「米軍との一体化」を目指すかのような姿勢だ。こうした矛盾はもとより、現場で生きるか死ぬかを日々迫られる生身の人間への眼差しと想像力が、圧倒的に欠けている。
(有銘佑理、7月17日号)