最大20万床、政府の入院ベッド削減構想に不安の声――入院患者が行き場を失う
2015年9月10日4:16PM
「2025年の全国の入院ベッド(病床)数を1割以上削減する――」。政府が6月に打ち出した病床削減構想に、多くの患者や家族が不安を抱いている。
ただし、政府に強制力はなく、そのスタンスも揺れている。実現可能性は、まだ見えてこない。
「また出て行け、と言われたらどうしたらいいんでしょう」。福岡市に住む女性(52歳)はそう言って、深いため息をついた。
糖尿病を患う女性の父親(77歳)は同市郊外の高齢者向け長期入院施設、療養病床に入院して3カ月になる。女性は夫と共働き。自宅には義母が同居しており、父を迎える余裕はない。以前に入院していた自宅近くの病院から退院を迫られ、今の病院はつてを頼ってようやく見つけたばかり。それなのに国の病床削減策が本格化すれば、再びベッドを追われかねない。
【3割以上削減される県も】
政府は6月、2025年に必要となる全国の病床数を115万~119万床と公表した。現在の病床数(約134万7000床)からすると、最大20万床、15%の削減となる。25年時点の人口推計などをもとに、各都道府県で必要となる病床数を積み上げた。大阪、神奈川、東京など高齢人口の急増が想定される6都府県では病床を増やす必要があるとする半面、残る41道府県はすべて削減対象だ。九州、四国では3割以上の削減を迫られる県も少なくない。
「治療が不要な入院患者は数十万人」。そう考える国は、こうした患者が退院したり介護施設に移ったりすれば、病床を20万床減らしても問題ないとみている。
療養病床の患者1人当たりの医療費は月35・8万円~59・6万円。これに対し、介護の老人保健施設なら27・2万円に抑えられるという。12年度に35・1兆円だった医療給付費は、このままでは25年度に54兆円へと膨らむとされ、病床再編構想には医療費カットに結び付けたい国の本音が見え隠れしている。
「20万床減」に対する厚生労働省の言い分は、「あくまで参考値で、強制はしない」。だが、医療現場はそうは受けとめていない。医療費抑制を迫る財務省は「規定方針」とみなし、厚労省と食い違う。日本医師会の横倉義武会長は「必要な病床数は地域の事情によってさまざま。都道府県の数字を足して全国の数字を出すことに意味はない」と切って捨てる。「入院ベッドを出て介護へ」。そんな国の姿勢に、関係者は不信を強めている。
15年度、介護事業者らに支払われる介護報酬は2・27%減と過去最大の削減幅となった。医療同様、介護保険の財政も苦しく、退院患者の受け皿となるはずの介護施設整備は進んでいない。医療や介護の現場からは「受け皿なしに病床を減らすなら、医療と介護が必要な高齢者は行き場を失う」との批判が噴き出ている。
【看取りの場はどうなる】
ただ、病床を巡る政府の政策は、二転三転を繰り返してきた。国に振り回され続けてきたという埼玉県の病院長は、「どうなるかわからない。様子を見た方がいい」と冷静に受けとめている。
というのも、国や都道府県は病院のベッド増設にストップをかける権限は持っていても、削減を強要する権限はないからだ。日本の病院は8割が民間で、行動を縛るのは難しい。国ができることは病床を減らした医療機関を診療報酬や補助金で優遇するくらいだが、効果はハッキリしない。この病院長は「今、各病院が持つベッド数の枠は既得権益の面がある。簡単には手放さない」と漏らす。
日本では8割の人が病院で死ぬ。「自宅の畳の上で死にたい」という望みはあっても、さまざまな家庭の事情がそれを許さない。そうした現状での病床削減は、さらに看取りの場を失うことにもなる。今後、「多死社会」が本格化するにもかかわらず、在宅医療・介護は行き詰まっている。
「看取りの場の確保は切実だから。現実には、病床を大幅に減らすことは難しいかもしれない」。厚労省幹部は、そうつぶやく。
(吉田啓志・『毎日新聞』編集委員、8月28日号)