南相馬・避難基準撤回訴訟――「若い人は帰ってこない」
2016年4月21日9:53AM
東電原発事故で設けられた「特定避難勧奨地点」の解除撤回を求めて、福島県南相馬市の住民が起こした訴訟の第三回口頭弁論が3月28日、東京地裁で開かれた。
原告は証拠として、住民らが測定した空間線量の調査結果を裁判所に提出。地域が今も広く面的に汚染されていることを訴えた。
特定避難勧奨地点とは、警戒区域および緊急時避難準備区域(いずれも当時)の外で積算線量が年間20ミリシーベルトを超えるとして国が指定した地点。南相馬市内で152世帯が対象となったが、国は2014年12月、線量が下がったとして一方的に解除した。その3カ月後には、住民への賠償や様々な支援が打ち切られた。
線量調査は住民らでつくる「ふくいち周辺環境放射線モニタリングプロジェクト」が実施。原町区片倉で14年夏、地域をメッシュ状に区分けして測定したところ、全ての箇所の空間線量が公衆の被ばく限度である年間1ミリシーベルトを上回った。この内、放射線管理区域レベルである年間5ミリシーベルトを超える箇所が半分を占めた。
口頭弁論後の報告会で、原告代表の菅野秀一さんは地域の現状を語った。「若い人は一人も帰って来ておらず、75歳以上の限界集落になってしまった。子どもたちがいないのは本当に寂しい」。
また、口頭弁論を行なった原告で原町区片倉に住む平田安子さんは、線量調査時の出来事を振り返った。「ある住宅で調べた際、そこに住む老夫婦に『子どもや孫が帰って来られる線量か』と尋ねられた。祈る思いで測定したが、子や孫がいた2階の部屋は期待を裏切る線量で、特に畳の表面汚染には驚いた。老夫婦は心配そうな表情をしていた。こういう高齢者が多くいることに胸が痛む」。
空間線量が高いにもかかわらず国が解除を急いだことで、復興とは名ばかりの現実が生じている。
(斉藤円華・ジャーナリスト、4月8日号)