関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺から93年――国家責任を問い続ける人々
2016年9月28日11:32AM
1923年9月1日の関東大震災から93年。今年も1日から数日間、関東各地で虐殺された朝鮮人・中国人等犠牲者の追悼行事が行なわれた。大震災直後の戒厳令下、軍隊や警察、新聞が朝鮮人の暴動や犯罪に関する「流言飛語」を煽動し、各地で「自警団」が組織され、数千人が殺害された。
各地で地元住民による墓碑の建立や、長年にわたる市民の聞き取り調査などが続けられ、事件の記憶が継承されてきた。東京都墨田区や神奈川県横浜市、千葉県八千代市などで開催された追悼行事には、それぞれ100人以上の参加者があり、家族連れや学生など若い世代の姿も目立った。
3日、横浜市久保山墓地で行なわれた「神奈川追悼会」では、市民と地元朝鮮学校生徒により「証言」の朗読劇が披露され、生々しい記憶が再現された。自警団や軍隊により多数の朝鮮人が殺害された現場、墨田区八広の荒川河川敷には、来日中の中国人犠牲者の遺族を含む200人以上が集まった。4日、千葉県八千代市の高津観音寺での法要では、先月20日にソウル市光化門広場で初めて開催された追悼会の関係者である金美鈴さんが挨拶した。
「日本での長年の取り組みに感謝します。現在遺族探しをしながら、記録映画制作を在日2世の呉充功監督が進めています。韓国内で上映し遺族探しと日韓両政府への責任追及に繋げたい」と語った。
2003年に日弁連が真相究明と公式謝罪を求める勧告書を日本政府に提出したが反応がなく、今年5月には野党国会議員が質問主意書を参院議長に提出したが、安倍首相の答弁書は「政府内にその事実を把握できる記録が見当たらない」だった。しかし、内閣総理大臣が会長を務める「内閣府中央防災会議」の専門調査会が08年3月(福田内閣)に公表した報告書には、朝鮮人・中国人の「殺傷事件」に関して詳しく記載されている。
(西中誠一郎・ジャーナリスト、9月16日号)