辛淑玉さん、闘いは続きますね(佐高信)
2017年2月23日2:21PM
拝啓 辛淑玉様
新年早々、『東京新聞』論説副主幹とかいう長谷川幸洋らとの闘い、お疲れさまです。長谷川ら中傷主義者を見ると、私はいつもコウモリを連想します。「昼は暗所に潜み、日暮に活動する」(『広辞苑』)というコウモリは「獣なのに鳥のように飛ぶところから、情勢の変化を見て優勢な側に味方する者をののしっていう」時にも、その代名詞として使われます。
私は公明党をコウモリ党と呼んでいますが、彼の党にもピッタリですね。
“鳥なき里のコウモリ”という言葉がありますが、少しはマシな新聞の『東京』の長谷川や元『朝日』の永栄潔らを指すのでしょう。『産経』や『読売』にいれば、数の中の1人にすぎない彼らも、“鳥なき里”では目立つということです。しかし、愚かなる彼らはそれを自覚していません。
敵対する『朝日』の禄を食んだことのある花田紀凱もコウモリ族に入るでしょう。どこか卑しい感じがするのはそのためです。
旧制一高の校長をやった安倍能成さんは「教養とは何か」と問われて、「教養とは相手の立場を理解しようと努力することに始まる。教養のない者とは自己主張するだけの者だ。どんなに知識があっても、教養があるかないかは相手の立場を理解する態度を示すかどうかによって決まるのだ」と答えています。
安倍さんは「心」グループに属した保守派の人ですが、その通りですよね。この定義に従えば、長谷川らは無教養極まりない人間だということになるでしょう。
痛みがわからない『東京新聞』長谷川ら
私はいつも、極限まで「相手の立場を理解しようと努力する」辛さんに敬意を払っていますが、上野千鶴子著『ニッポンが変わる、女が変える』(中公文庫)の辛さんの発言に打たれました。
辛さんは東日本大震災の後、早くに被災地に入り、在日だけではなく、外国籍住民の救援活動に取り組んできましたが、上野さんが、
「『子どもに障がいがあって、奇声を上げたり、周りに迷惑をかけたりするから避難所にはとてもいられない』と、傾いた家に戻った人もいたそうです。認知症の高齢者を抱えた家族も、避難者のコミュニティに入ることを自主規制してしまったり」
と言うと、辛さんはこう答えています。
「人からケアしてもらう必要がある人は、避難所にはいられません。それは、外国籍住民も同じようなものです。『従軍慰安婦』として名乗りをあげて、国と裁判を起こした宋神道さんも、避難所でやっと見つけた時には、日本名で入っていました。胸が痛かった」
私も胸が痛みますが、前記の長谷川らにはまったく理解できないでしょうね。痛む胸がないからです。
「国と闘った人でも、非常時の日本では外国名でいることが恐怖だったのでしょう。つらい話です」
と続ける上野さんに、辛さんは、
「避難コミュニティに入らない在日の家族にも会いました。半壊した家で、家族を支えて疲弊しきっている女性がいた。彼女に、『手続きをとって義援金をもらいましょう』と提案したとたん、『絶対嫌だ!』と。『そんなことで今までの差別をなかったことにされたくない』といいました」
と述懐しています。
「復興の過程で『がんばろう日本』とか、ニッポン・コールが起きました。朝日新聞が作った復興を考える委員会の名前が『ニッポン前へ』。本当にキモチ悪い」
と語る上野さんに辛さんは「その言葉がどれだけ怖かったか」
と答えていますね。
(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、2月10日号)