街を歩く安心感(小室等)
2017年3月13日5:09PM
二月一〇~一一日、障害者の地域生活を推進するための全国的なネットワーク作りが目的の《アメニティーフォーラム21》に行ってきた。毎年二月に滋賀県大津市の「びわ湖大津プリンスホテル」で開催されているもので、二一回目の今年は全国の福祉に携わる一五〇〇人近くが集まった。
三日間、朝から晩まで四〇を超える講座とシンポジウム。
ちなみに一日目のプログラムのタイトルを少しだけあげると、「今あらためて共生社会を」「人とのかかわりを職業とすることの意味・私たちはなにを期待し、求めているのだろうか」「ピアサポーターが精神障害者のリカバリーを促進する」「高次脳機能障害となった夫と私と娘の10年」等々。
同時開催で、映画祭、アール・ブリュット展、毎回参加している小室や北山修のライブなどもあったが、その話はいずれまた。
二日目の「津久井やまゆり園の出来事を言葉にすること~その事を語る私を確かめる~」をのぞいてみた。登壇者は、福島智(東京大学先端科学技術研究センター教授)、田口ランディ(作家)、伊原和人(厚生労働省年金局年金管理審議官)、野澤和弘(進行、毎日新聞社論説委員)。
全盲で全ろうの福島智さんの「被害者のほとんどは、容疑者の凶行から自分の身を守る『心身の能力』が制約された重度障害者たち。こうした無抵抗の重度障害者を殺すことは二重の意味での『殺人』と考える。一つは人間の肉体的生命を奪う『生物学的殺人』。もう一つは人間の尊厳や生存の意味そのものを優生思想によって否定する『実存的殺人』であり、被害者にとどまらず、人々の思想・価値観・意識に浸透し、むしばみ、社会に広く波及するという意味で、『人の魂にとってのコンピュータウイルス』のような危険をはらむ大量殺人だと思う」という重要な話に加え、あの事件の直後、福島さんが聞いた、車いす生活をする同僚の〈街を歩く安心感の根っこが抜けてしまった〉という感慨は切実だ。
田口ランディさんの死刑問題に波及した、殺していい命といけない命の選別の問題も大事な話だったが、街を歩く安心感の話は僕の心に沈潜した。
障害者の安心感と比肩できることではないが、健常者にとっても、最近の世の中は不安だ。そう、街を歩く安心感が今奪われている。
街を歩く安心感。
実存的安心感。
奪っているのは政治だ。
顔が浮かぶ。安倍、麻生、稲田。
生物学的安心感はもとより、実存的安心感を、紛れもなくこの人たちが奪っている。
(こむろ ひとし・シンガーソングライター、2月24日号)