国家主義者は救国の伝道師ではない(浜矩子)
2017年5月22日5:38PM
「東が西から遠いほど、わたしたちの背きの罪を遠ざけてくださる」。旧約聖書の一節だ(詩篇103.12)。神の力を謳い上げている。聖書講座を開講しようとしているのではない。フランス大統領選の成り行きを見守る中で、この「東が西から遠いほど」というフレーズが頭に浮かんだのである。
最終的に誰が勝利するかはさておき、候補者たちの主張を聞きながら、奇妙な点に気がついた。それは、いまや、どうも東が西からあまり遠くなさそうだということである。聖書の上記の言い方は、東と西が対極にあるところに眼目がある。人間からこれ以上遠くはなりえない遠方に、神は罪を追いやってくださる。それが、この一節の勘所だ。
政治の世界において、対極的な位置づけにあるものは何か。それは右と左だろう。右翼と左翼が政治的信条の両極だ。この両端を結ぶ直線上に、中道右派とか中道左派があったりする。右翼から最も遠いところに向かって進めば、左翼にたどり着く。左翼から遠ざかれば遠ざかるほど、右翼に近づく。東から西が遠いほどに、左翼は右翼から遠い。そのはずである。
だが、今のフランスでは少々状況が違う。今回の選挙に向けて最右翼に陣取ってきたのが国民戦線を率いるマリーヌ・ルペン氏だ。極左ポジションから急浮上したのが、ジャン=リュック・メランション氏である。フランス政治の信条測定定規において、この両者が左右の両端を画している。そういうことだ。ところが、この2人が言っていることは、驚くほど似通っている。反グローバル・反自由貿易・反EU。2人とも、ロシアのプーチン大統領がお気に入りだ。
いみじくも、選挙キャンペーンの本格始動に当たって、ルペン氏が次のように言っていた。「いまや、右翼も左翼もない。あるのは、グローバル対愛国の対決だ。」メランション氏も、これには大いに同感しそうだ。
対極的に遠い関係にあるのは、いまや、右と左でも西と東でもなくて、グローバルと愛国なのか。こんな対極意識が広がってしまうのは、実に危険なことだと思う。グローバルを悪役に仕立てることで、国家主義者たちが救国の伝道師であるかの自画像を打ち立てる。このまやかしに乗せられると、人々は、それこそグローバルなスケールで国家権力の餌食と化していく。
グローバル化という現象は、確かに扱い方が難しい。だが、国境を超えた相互依存関係が深まれば、それだけ、誰も偉そうな顔が出来難くなる。誰もが誰かのお世話になっている。これほど人々を謙虚にしてくれる構図はない。これほど、人々がお互いに愛想良くすることを容易にしてくれる時代はない。親分がいないから、誰もが責任をもって全体のことを考えなければならない。なかなか、麗しい風景だ。グローバルは愛国で、愛国はグローバル。実は、それが今日的時代状況であるはずだ。
この感覚で、西と東が手を結び、右翼と左翼が抱き合うなら、確かに、人類は罪から最も遠いところにいけるかもしれない。神よ、何とぞ、そこに向かって我らを導き給え。
(はま のりこ・エコノミスト。4月28日・5月5日号)