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私たちも彼らも同じ人間──ニューギニア高地人1(本多勝一)

2017年6月9日3:25PM

交易のためにザシガからナッソウ山脈を越えてやってきたアヤニ族の男たち(藤木高嶺うつす)。彼らがザシガへ帰るとき、藤木氏と私とは、彼らに従って山を越えていった。護衛の兵隊はもちろん、武器の類など一切もたなかった。

1963年の12月17日。『朝日新聞』の藤木高嶺記者と私は、インドネシアの西イリアン島北海岸から内陸高地のエナロタリへ、現地のカトリック教会専属の小型セスナ機で飛んだ。

そのとき小飛行場の滑走路でセスナ機をとりかこんだのは、この写真のような人々だった。日本人とは、共通点の少なすぎる形相と挙動。何を考えているのか――歓迎しているのか、何かたくらんで(?)いるのか、心中を読みとり難い表情……。

この7カ月ほど前、カナダの北極圏でエスキモーたちと初めて対面したとき、私は何の不安も感じなかった。日本人とよく似た彼らの顔が笑うとき、それは笑顔以外の何ものでもなかった。彼らの感情が、そのままこちらに伝わってくるように思われた。が、ここでは逆だ。暗色の顔が白い歯をみせて笑うとき、笑顔には違いなくとも、私たちの不安をむしろ募らせる。

「ニューギニア」と言えば、すぐに「ヒト食い人種」とこだまが返る。その彼らと共にジャングルを歩き、彼らと共に岩かげでゴロ寝しては夜を明かした。それでも私たちは“殺されずに”帰ってきた。

私たちの肉がマズイと思われたわけでもなければ、文明の波が山奥まで浸透したわけでもない。理由はひとつだけ。――私たちが人間であるのと同じ程度に、彼らも人間だったからである。
(ほんだ かついち・『週刊金曜日』編集委員)

※この記事は、本多編集委員がかつての取材をもとに『週刊金曜日』で連載しているものです。ニューギニア高地人は1964年に『朝日新聞』夕刊で連載され、後に単行本や文庫本にまとめられています。連載当時の社会状況を反映しているため、いまの時代にそぐわない表現があることをお断りします。

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