永さんのルーツ(小室等)
2017年7月6日5:39PM
「墓参に来る人は、必ずしも檀家の人ばかりではない。故人の知己友人なども参るから、顔見知りでない人も多勢来る。三十くらいのキレイな、素人ばなれのした女性がお参りに来た。私の知らない人である。去年亡くなったある女性の墓参に来たのだが、大きな蟹のゆでたのを持っている。
『あの人、とても蟹が好きだったんですよ。蟹と来たら、ホントに目がないの。バケツに一杯くらいたべちまうんですのよ。だから今日、あたし、蟹もって来ちゃった』
いいとも、いいとも、貴方の気持なんだから、とは言ったものの、あとでなまものだから、腐ったりして、ヘンな臭いなどするようになると、ほかの人たちに悪いし、一日お供えしたら、これは片づけた方がいいだろうと思った。あくる日になって、掃除に行ったら、もう、夜のうちに、野良猫がこの蟹を引きずり下ろして、喰いちらかしたと見えて、そこら中に、蟹の鋏や甲羅や、白い肉片が散乱し、目もあてられないありさまになっていた。掃除には手がかかったが、昨日あの女性はきっと、『あなたの好きな蟹、もって来てあげたわ』と、友達の墓に供えたのだろう。やっぱり、いいなあと思った。掃除など、ちっとも苦にならなかった。」
(『街=父と子 おやじ永忠順との優雅な断絶』永六輔著、毎日新聞社)
ちっとも苦にならなかった人は当時、元浅草最尊寺住職永忠順氏で、それは永六輔さんの御父上。素人ばなれした女人、蟹を喰いちらかす野良猫。硬軟分け隔てなくよろず受け入れる下町の寺。そうか、永さんの優しさのルーツは忠順さん、あなただったんですね。
忠順さんの話、もう一つ。
相撲取りになるはずだった末の息子を亡くした中島さんの話。
「暑い夏の炎天干しの日に、中島さんは、いつものジュースのほかに、大きな氷のかたまりを、縄で結わいてブラ下げて、お参りに来た。あの氷をどうするつもりなのか。中島さんが帰ってから、お墓へ行って見たら、お墓の頭の上に、氷がのせてあった。溶けた分が水になって、何本もの糸のように、石塔を濡らしていた。夏の日盛りには、石がやけるから、お墓は手で触っても熱いくらいになる。お前暑いだろうなあ。大きな氷を持って来て、子供の墓の上にのせてやる。親の心のやるせなさに、涙が出て来た。合理主義など、こうなったら、どこへでも行ってしまへ。下町には、下町のやり方があるのだ。」(同)
下町のやり方。
平和ってここからだよね。上のほうでドンパチやるんじゃなくて、いま目の前にいる人に思いを至らせること、なんですね永さん。
(こむろ ひとし・シンガーソングライター、6月16日号)
〈編注〉2017年7月7日で、永六輔さんが亡くなられてから1年になります。