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清い水と汚れた水(小室等)
2017年7月17日3:20PM
「僕はテレビを観る人達に知って貰いたい/芸能史の暗い影を/それを求めた観客の貧しさを/健全娯楽をつくる前に/娯楽というものの/淫靡な素性を見極めなければ/無意味であることを。
☆(中略)
僕は昭和八年に生れた。/十二才の時には/戦禍の廃墟に立っていた。/日本の伝統が灰になっていた。/二十才の時にテレビ放送が始まり/僕はそこで働くようになった。/テレビは飢えた豚のように/あらゆる文化・芸能を/その胃袋の中におさめようとする。/その現場から/芸の伝統を解きほぐし/一九六九年 昭和四十四年の時点で/テレビが芸能史をどのように受けとめたか/この本はその体験的なエッセイであり/テレビスタジオからの報告でもある。」
永六輔さんが物した力作『芸人たちの芸能史~河原乞食から人間国宝まで』(番町書房)のまえがきの一節だ。そしてあとがきで、かさねて言う。
「日本の芸能史が賤民への差別が根底となり、そこから生れ育ってきた背景のあることは書いて来た通りである。この素性の後めたさを、歴史の中でどう受けついで行くかが僕達の明日の芸能を決めてゆくことになる。世界を例にとった場合でも芸能ならびに芸人が同じ差別で育っている例は多い。多くの大衆歌曲、ブルース、タンゴ、サンバ、ボサノヴァといったものがスラムから発生していることでもわかる。ジャズにしたってギャングと売春婦に育てられた。ここでも芸人とやくざと女郎は一身同体なのである。」
つまり、すばらしい芸人たちは決して清い水の中に生まれ育った連中ではない。清廉潔白などではないのだ。悪党がいいと言っているのではない。しかし、善人では、悪党よりも始末が悪いのだ。
たとえば、関東大震災の中、ちょっとした流言飛語で朝鮮人虐殺を犯してしまえる善人・一般人の脆さ。戦争末期、特攻隊に志願し、残念ながら自爆攻撃をしてしまえた“純な”青少年たちの脆さ。
翻って、そのような脆さに立ち向かえるとしたら、それは汚れた泥水で育った芸人たちだと、永さんは言いたかったのだと思う。
そこでわれら永六輔の下に集まった者たち、佐久間順平、竹田裕美子、李政美、伊藤多喜雄、こむろゆい、小室等、オオタスセリ、松元ヒロ、きたやまおさむ、中山千夏、矢崎泰久の面々。せめてその名を「永六輔とその一味」と名乗り、七月六日、成城ホールに集い、六輔お頭一周忌とするのだ。
それはそれとして、国会や霞ヶ関に棲息する連中って、一体どんな水で育ってきたのだろうか。
(こむろ ひとし・シンガーソングライター、6月30日号)
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