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拝啓 前川喜平様(佐高信)
2017年7月24日5:00PM
先日、前川さんの先輩の寺脇研さんに会い、前川さんは寺脇さんと同じ“河野スクール”の出身だと聞きました。
河野スクールの“校長”の河野愛さんは私より3歳下で寺脇さんより4歳上の文部(現文科)官僚でしたね。
1996年2月22日に47歳で病死してしまった河野さんのことを私は『世界』に連載していた「葬送譜」で追悼しました。もちろん、寺脇さんに追悼集等を用意してもらってです。
河野さんは後輩が「弱い者の心がわからない役人」にならないよう戒めたのですね。
そう鍛えられたのが寺脇さんや前川さんだと知って、私は今度の前川さんの行動がわかるような気がしました。
前川さんは『文藝春秋』7月号の「わが告発は役人の矜持だ」という手記で、「私には、加計学園の獣医学部新設問題で行政が歪められていく様子を目のあたりにしながら、それを看過してしまったことへの忸怩たる思いがあります」と言っていますが、「それでいいのか」と問いかける先輩として河野さんの顔が浮かんだのではないでしょうか。
東大法学部出で美人で仕事ができて、そのうえ思いやりがあってゴルフがうまくて酒が飲める。こんな河野さんを称して、麻雀でいう三倍満(めったにできない役満の次に高い手)だという人もいたそうですね。
忘れられない先輩の故・河野愛さん
労働組合の役員なども引き受けた河野さんは、後輩が差別的に仕事を逃げることを決して許しませんでした。
ある後輩が大分県の社会教育課長として出向していた時、文部省の社会教育課の課長補佐だった河野さんが彼を訪ねました。
会食の席で、その後輩が離島の村へ行かなければならないのに逃げているという話が出て、河野さんは顔色を変えたのです。
「あなた、何しに大分県に来ているの、仕事でしょ! いつから自分の好き嫌いで仕事選ぶほど偉くなったの、そんな気持ちじゃ県に対して失礼です! 直ぐに国に帰りなさい!」
大柄だけに、ふくよかな顔つきでも、怒った時の河野さんは恐かったそうですね。
逆に、どんな人に対しても、かばうべき時は部下をかばったとか。
河野さんの父親の力さんは、作家の川口松太郎が『亡妻追慕』の中に「二人と得ない妻、二人とない母、二人とない恋人」と告白していることに触れながら、自分にとっても娘は「二人とない娘」だった、と書いています。そして、娘が在職中、一番憤激にたえないと思ったのは、リクルート事件ではないか、と推測しているのです。その時の彼女のメモには、「不正に対し自分の生き方で闘っていく」と書かれていたとか。
「仏教では『百ヶ日』のことを『卒哭忌』というらしいが、これは泣き終わる日ということか。泣き終えて立ち直るという意味でもあるのだろう。もうすぐ三回忌がくる。『色即是空』『一切皆空』として悟るべきか。南々西の空にこれが娘の『愛』ときめている星がある。今朝は又格別キラキラと美しく輝いていた」
逆縁で娘に先立たれた河野力さんの追悼文の哀切な結びです。「私には過ぎた娘、心から誇りに思う娘であった」ともお父さんは述懐していますが、前川さんにとっても決して忘れられない先輩であり、“校長”だったでしょうね。
前川さんは前記の手記で、「次官の辞表を叩きつけてでも抗議できたはずで、自分の不明と勇気のなさを恥じるばかりです」とも述べていますが、しかし、前川さんの行動がどれだけ多くの人を勇気づけたことか、と私は思っています。
(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、7月14日号)