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非良心的兵役拒否のすすめ(佐高信)

2017年9月2日3:13PM

「映画運動家」の寺脇研を司会として西部邁と私の『映画芸術』での対談が続いている。今年の夏の460号で、22回目。そんなになるのかという感じだが、今回は『ハクソー・リッジ』と『戦争のはらわた』を観ての闘論だった。

『ハクソー・リッジ』は宗教的信念から銃は持たないとして衛生兵となって従軍した者の話だが、私には強烈な違和感が残った。

それで、西部が「信念を曲げたくないなら志願しなければいい」と言った後に、こう応じた。

「西部さんとは違う意味で、この映画に違和感を覚えたのは、『良心的兵役拒否』というのは昔から嫌いだからです。鶴見俊輔さんにも言ったことがあるんですが、戦争を『善』として、それを『良心的』に拒否するということでしょう。では、どうして『非良心的兵役拒否』はダメなんだと思ってしまうわけです。鶴見さんは、そんな考えもあるなと笑っていましたが、ともかくすごく嫌なんです。自分のどこかを満足させるだけのことで、それを良心的といえば許されるのかと」

西部と私の暴言の連続で、映画人からはヒンシュクを買っている闘論らしいが、そんなことも意識して、ちょうど同じころに観ていた『兵隊やくざ』(増村保造監督、勝新太郎と田村高廣の共演)の方が興味深かったと私は発言している。もちろん、戦争は戯画化して済むものではない。しかし、力が入れば入るほど国家を厳粛化してしまうことにつながるのではないか。

明治初期に徴兵令が出た時、民衆はそれを「血税」と呼んで抵抗して回避しようとした。

『良心的兵役拒否の思想』(岩波新書)で阿部知二は「単なる本能的恐怖あるいは厭悪にもとづく逃亡的行為」にとどまらずに、それが思想にまで昇華されたものを「良心的兵役拒否」と称しているように見えるが、「単なる本能的恐怖あるいは厭悪」から兵役を拒否しては、どうしてダメなのか?

選ばれた者だけの抵抗にしないために

たとえばキリスト教のクエーカー派は絶対に人を殺さないことを信条としている。それで「良心的兵役拒否」を申し出ると、厳重な審査を受け、それを通った場合に、病院で傷病兵の看護をすること、あるいは土木工事、鉱石採掘等に従事することを命じられる。

それも間接に戦争に協力することだとして拒絶すると獄につながれるのである。

この国では1939年に「灯台社」事件というのがあった。灯台社はニューヨーク州に本部を置く「ものみの塔聖書冊子協会」の日本支部として、1927年に明石順三を中心に結成されたキリスト教系団体で「エホバの証人」と呼ばれる新宗教である。彼らはエホバ以外の被造物に礼拝することはできないとして、宮城遥拝や御真影奉拝も拒んだ。そのため不敬罪等で検挙されたが、拷問を受け、傍聴禁止の秘密裁判で懲役12年の判決を言い渡される。そこで、明石はこう陳述している。

「私は今まで法律に触れるやうな行為をやつて来たとは思ひません。すなはち聖書も公刊物でありますし、この聖書に基いて私が発行した出版物は全部当局の検閲を受けてをります。(中略)私が今までに申し上げた真理は神の言葉です。絶対に間違は有りません。現在私の後について来てゐる者は四人(非転向者。――妻の静栄、崔容源、玉応連、隅田好枝)しか残つてゐません。私共に五人です、一億対五人の戦です。一億が勝つか五人が言ふ神の言葉が勝つか其は近い将来に立証される事で有ませう」

原理はこの通りだが、選ばれた者だけの抵抗にしないために、私は「非良心的兵役拒否」をすすめたい。

(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、8月18日号)

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