取っておいた2通の手紙(佐高信)
2017年9月15日10:09AM
整理はきわめて苦手だから保存も得意ではないのだが、その2通の手紙は袋に入れて取ってあった。ちょうど50年前のことになる。教師1年生だった私は、組合の機関紙にこんな「感想文」を寄せた。
〈その昔、宗教改革のノロシを上げて焚殺に処されたヤン・フスは、十字架にかけられた自分の下に勤勉に火あぶりのための薪を運ぶ老婆を見て、「おお、神聖なる無知よ!」と叫んだと言われるが、わが国の戦前の教育は馬車馬的勤勉さをほめたたえる点において、この老婆の勤勉さと同じ性質のものであった。その勤勉さが何をもたらすかを見通さない目先だけの「誠実」、私は10・26闘争の過程で、授業カットはいやだというこの目先だけの勤勉さに何度も出くわした。彼らは「戦争」の体験に何も学ばなかったのか?〉
何へのマジメさかを問わず、マジメであること自体をよしとする誠実主義を“まじめナルシシズム”と名づけて批判したこの「感想」に、当時、奥行きのある手紙を2通もらった。1通は『死にがいの喪失』(筑摩書房)の著者で大阪大学教授となった井上俊からで、もう1通は教師時代に「魯迅を読む会」を一緒にやっていた共産党員の教師からである。まず、前者の要の部分を引こう。
〈マジメ主義批判というものは、私の考えでは、声高に語ってはいけないもので、常に声低く語るべきものだと思います。(中略)マジメ主義批判はそれ自体としては「正論」になりえない性格のもので、無理に「正論」化しようとすると、マジメ主義の単なる裏返しとなり、マジメ主義批判のマジメ主義化という奇妙なおとし穴に落ちこんでしまいます。それをチェックするものは何なのだろうかと時々考えます。もしかするとそれは、「マジメ」の価値を認め尊重しながら、しかもなお批判せざるをえない者の一種の「負い目」意識のようなものかもしれません〉
京都大学の作田啓一門下の兄弟子として上野千鶴子が一目も二目もおく俊秀の井上らしい行き届いた批判である。
「資本主義の走狗」と断罪された手紙
次の先輩教師からの批判は、私が『わが筆禍史』(河出書房新社)に収録した若き日の共産党批判に対する反発もあってか、かなり辛辣である。しかし、その苦みも含めて、私はこの手紙を捨てることができなかった。
「あなたのマジメ主義批判、感心しません。そういうあなたこそマジメ主義そのもので(マジメなくせにそうでないふりの文章を書くと、見えすいたいやらしさとなります)。世間ではこれを称して、目くそが鼻くそを笑うという。私からこう言われるのはあなたには不本意であるでしょうが、あなたの書くものなぞ、どれもこれもそういうトーンを帯びているではありませんか。
あなたはしきりに汚れたがっていますが、そのポーズが私にはますますストイックに見えます。ストイックな心をどこかに持っていたいとする点では私も似たようなものですが、ああ、私は汚れを洗い落したい。あなたのような大胆な行動ができぬ、汚れにどっぷりとひたっている自分を悲しく思う。ただ私はその汚れを他人様に見せびらかすことをしたくない、と思うだけです」
あえて名前は明かさないこの先輩は、私が教師をやめて経済誌の編集者となった時、「あなたは資本主義の走狗になった」と断罪する手紙もよこした。
私はすごく厭な気分になったが、しかし、あの手紙が、私が文字通り「資本主義の走狗」になることを食いとめたのかもしれない。亡くなってすでに久しいその先輩を思いながら、こう考えている。
(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、9月1日号)