ビキニ環礁・第五福竜丸事件から63年 築地市場に石碑「マグロ塚」を
2017年10月18日6:19PM
米軍が1954年3月に南太平洋のビキニ環礁で行なった水爆実験で被曝し、急性放射線症でその年に亡くなった久保山愛吉さんの命日(9月23日)に、「築地にマグロ塚を作る会」が、記録映画の上映と講談の集いを開催した。
同会の代表は久保山さんと同じ、第五福竜丸の乗組員だった大石又七さん。「マグロ塚」とは、当時、ガイガーカウンターで100cpm(1分間に1カウント)以上の放射線が感知され、国に廃棄処分を命じられたマグロを供養するための石碑だ。水揚げされた汚染マグロは460トン。築地市場だけで2トンのマグロが穴を掘って埋められた。
ビキニ事件をきっかけに原水爆禁止運動は盛り上がったが、大石さん自身は、他の乗組員と同様、差別を避けて事件については口を閉ざし、故郷を離れて東京でクリーニング店を営んでいた。しかし、小学生たちに体験を語ったのがきっかけで、「当事者が話さないと忘れていく」と講演を重ね、「私自身が変わっていった」(大石さん)と言う。そして、東京都が地下鉄工事に伴い発掘調査をすることとなり、そこに石碑を建てることを思いついて、子どもたちから10円募金で寄付を集めた。
集会では「ほんのわずかでも出資すれば、私が話しただけよりも平和問題に関わったという意識を持ってもらえる。私は私で助かると考えたが、子どもたちは私が思っていたより真剣に考えてくれた。今考えると大事なことだった」と語った。
大石さん自身が「マグロ塚」の4文字を書くために通信教育で3年をかけて書道2段を取った。
しかし、東京都は築地市場での石碑建立に難色を示し、現在、石碑は第五福竜丸展示館(江東区)の脇に立つ。同会は「核兵器の怖さと平和の尊さを訴え続けてくれる」として、「マグロ塚」の築地への移設を都知事と都議会に求める署名を集め続けている。
(まさのあつこ・ジャーナリスト、10月6日号)