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「組織化された貪欲」に負けるな(浜矩子)
2017年10月20日4:14PM
突然、総選挙だ。とんでもない話だ。ご都合主義も甚だしい。あまりにも姑息すぎる。こういうことを繰り返していると、必ず、天罰が下る。それを確信しつつ、選挙というものに関する先人たちの知恵に学ぶことを試みた。
まずは古典からいこう。エウリピデスいわく、「蜜の言葉と悪なる魂の持ち主が大衆を籠絡する時、国に災禍が降りかかる」。エウリピデスは、ご存じ、ギリシャ悲劇の大家だ。人々の野心や下心や疑心暗鬼、そして自己保存本能が、いかに破壊的な力をもって悲劇を招くか。それを知り尽くし、語り尽くした人だった。
同じ古代ギリシャの文豪でも、アリストファーネスは喜劇の達人だった。欺瞞政治を揶揄した風刺劇、『騎士』の中に次のくだりがある。「人気を博したいなら、人々が喜びそうな珍味を用意してやればいいのさ。」
教育の無償化だの、全世代型社会保障だの。これらが、今回のご都合主義選挙を前にして、日本の有権者のために用意された蜜味の珍味だ。こんなものに籠絡されてはならない。
時代をグッと早送りしよう。1970年生まれのマット・タイビが次のように言っている。「自由市場と自由選挙を基盤とする社会においては、必ず、組織化された貪欲が組織されざる民主主義に勝利する。」
マット・タイビはジャーナリストであり、文筆家だ。アメリカ社会の矛盾と混迷を衝いて舌鋒鋭い。組織化された貪欲は、確かに怖い。何が何でも、その下心を実現すべく、組織的に動く。組織化された貪欲・イン・アクション。この間の日本の政治と政策が、われわれにそれをいやというほど見せつけてくれ続けてきた。
それに対して、民主主義はそもそも妙に組織化されないところがいい。組織なく、枠組みなく、強制なし。でも、民主主義は生きている。でも、民主主義は立ち上がる。それが民主主義の本質的美学だろう。
その意味で、マット・タイビが組織的貪欲の必勝を主張するのは、少々、悲観がすぎるかもしれない。貪欲に美学はない。貪欲に自然発生的求心力はない。だからこそ、必死で組織化しなければならない。だからこそ、そこに強制と規律が必要になる。枠組みが崩れれば、貪欲もまた脆くも崩れる。
また少し、時代を巻き戻そう。第16代米国大統領、エイブラハム・リンカーンいわく、「バロット(投票箱:ballot)はブレット(弾丸:bullet)より強し」。素晴らしい言葉だ。その通りである。だが、大義なく唐突にバロットを国民につきつけてくる者たちが、ブレット大好き集団だったらどうするか。ブレットを良しとする方向に人々を引っ張って行く。それが可能になるために、突如としてバロットを持ち出して来ている場合には、どうすればいいのか。
これに対して、リンカーンは答えを与えてくれていない。当然のことだ。そもそも、ブレット狙いでバロットに頼ろうとするような者たちが出現するなどということを、まともな精神の持ち主は考えもしない。貪欲の組織化、ここに極まれり。悪に根ざす蜜の甘言、これを越えることなし。危険な珍味を断固拒絶すべしだ。
(はま のりこ・エコノミスト。9月29日号)