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【憲法を求める人々】望月衣塑子(佐高信)
2017年11月30日2:41PM
「きちんとした回答をいただけていると思わないので、繰り返し聞いています」
官房長官の菅義偉に食い下がった望月に、ある種のバッシングも始まったころ、元文部科学官僚の寺脇研の紹介で彼女に会った。
そのとき私は彼女を励ます意味で拙著『抵抗人名録』(金曜日、現在は光文社知恵の森文庫)を渡した。理不尽と闘う仲間としてこういう人たちがいるよということを伝えたかったからである。
彼女が報道に携わる仕事に就く契機は、母親に薦められて吉田ルイ子の『南ア・アパルトヘイト共和国』(大月書店)を中学生の時に読んだからだった。機会があって吉田と会い、「まず小柄なのにおどろいた」と望月は『新聞記者』(角川新書)に書いている。
「にもかかわらず、ほとばしるようなエネルギーを放っていた」というが、小柄な点とエネルギーの発熱は望月も同じである。吉田の作品では私は『ハーレムの熱い日々』(講談社文庫)が忘れられない。
望月は母親の手引きで演劇の楽しさに魅せられ、一時は舞台女優になろうと思った。
「大きな声。人に見られていても物怖じしない度胸。そして、感情移入しやすい性格。演劇を通して身についたものは、その後に志した新聞記者の道でも私を支えてくれている」と望月は述懐しているが、私は彼女が小さいころは引っ込み思案だったと告白しているのに頷く。
好きな作家がアルベール・カミュで、好きな映画は『灰とダイヤモンド』と語るのには、その渋さに「いったい幾つなんだ」と反問したくなるが、「いちばんの宝物」は「早くに亡くなった両親の写真」だという。ともに私より若くて70歳を迎えることはなかった。
特に父親は7年前に59歳で亡くなっている。高校時代から学生運動にのめり込んで、業界紙の記者となった。
望月が『読売新聞』への転職を考えていた時、相談すると、
「お父さん、読売だけは嫌なんだよ」
と切なそうに言った。それを望月は「意外」と受けとめたというから、彼女の追及は思想的なものではないことがわかるだろう。
珍しい名前だが、萩原朔太郎に関係があるらしい。「帰郷」と題する萩原の詩はこう始まる。
わが故郷に帰れる日
汽車は烈風の中を突き行けり。
ひとり車窓に目醒むれば
汽笛は闇に吠え叫び
火焔は平野を明るくせり。
まだ上州の山は見えずや。
私はこの一節を何度口ずさんだかわからない。
「憲法を求める人びと」も闇夜に幾度も「まだ上州の山は見えずや」と心中で叫んだに違いない。しかし、山はあるのである。あるいは山のあることを信じて進んでいくしかない。
本誌6月23日号のインタビューで望月は、官房長官の記者会見について、
「英字紙『ジャパンタイムズ』のベテラン記者、吉田玲滋さんも鋭い質問をしてくれますし、会見の雰囲気も変わりつつあります。会見場で孤立しているわけではありません」
と語っている。
記者として当然の質問をしている望月が「孤立」するなど論外だろう。最後に望月に能村登四郎のこんな句を贈ろうか。
幾人か敵あるもよし鳥かぶと
あなたは決して1人ではない。少なくとも本誌がついている。
(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、11月17日号。画/いわほり けん)