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【憲法を求める人々】山城博治(佐高信)
2018年1月28日4:29PM
2017年12月12日に開かれた「山城裁判を知ろう!」という集会での本人の話は「沖縄今こそ立ち上がろう」という歌から始まった。
今こそ立ち上がろう
今こそ奮い立とう
沖縄の未来は沖縄が開く
辺野古の海を守り抜くために
本誌5月12日号掲載の鼎談で、山城の高校の先輩である照屋寛徳が証言しているように「ヒロジの運動には沖縄の島唄があり、三線があり、カチャーシーがあり、時にラインダンスだって出てくる」
ちなみにカラオケで歌う歌は「釜山港へ帰れ」だとか。
照屋が「類まれなリーダー」と称える山城の闘いには何よりも笑いがある。前記の鼎談のタイトルは「帰ってきたヒロジさんと安倍政権を笑い倒す」だが、もちろん笑いとともに激しい怒りがある。
弾圧は警視庁が入ってきてから暴力的になった。沖縄県警とはある種の信頼関係があったのだが、それが断ち切られて山城は152日間も不当勾留される。
真冬に靴下の差し入れも認められなかった。その理由として留置所は「靴下を口の中に押し込んで自殺する可能性があるから」とバカな説明をした。
それで弁護士で代議士の照屋は内閣に質問主意書を出す。靴下の差し入れを制限している憲法違反の留置所、拘置所は全国にどれだけあるのかと問うたのである。答は名護署だけだった。そして、内閣から回答がおりてくるその日の朝から、靴下の差し入れが認められるようになったのである。
安倍政権の卑劣さ、狡猾さがどれほどのものかわかるだろう。その中心に官房長官の菅義偉がいる。よく知られているように菅も、菅と対峙する沖縄県知事の翁長雄志も法政大学に学んでいる。山城もそうである。また、山城と同い年の田中優子と松元ヒロも若き日に法政で学んでいた。おそらく菅だけが独立と抵抗の精神を学ばなかったのだろう。
山城は納豆が苦手だった。収監されるまで食べたことはない。しかし、よく出てくるので食べてみたら、うまい。以来、口にするようになった。それが唯一の「入ってよかったこと」かもしれない。
新聞は留置所では1日1紙に制限されている。しかし、関係する記事は切り取られているので、スカスカになっていた。
最初は残念に思ったが、次第に「おお、今日はたくさん書いてくれたんだなあ」と励まされる感覚に変わった。逆に切り抜かれていないと「今日は書いてないのか……」と落胆したのである。
山城を極悪非道の犯罪者だと印象づけようとして、当局はこんなことまでやった。
怒りをこめて山城は振り返る。
「取り調べで、名護署から裁判所や検察に移動する時の私の恰好はと言えば、裸足にゴム草履、手錠をされ、さらに腰に縄をつけられた状態なんです。その恰好で外を歩かされる。名護署に戻る時も同じです。そんな恰好をさせられ、後ろから歩け歩け歩けと、まるで犬畜生みたいに」
そんなことには負けないぞと、山城を闘いの場に戻らせたのは、生来のある種のヤンチャさだろう。山城には会う人をなごませる人なつっこさもある。
好きな俳優はと尋ねたら、日活にいた芦川いづみという答だった。
元気者の弟を支える姉のような役が多かったが、多分、山城の妻は芦川に似ているに違いない。
(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、2018年1月12日号。画/いわほり けん)