西部邁先生との別れ(中島 岳志)
2018年2月23日5:14PM
2018年1月5日。
この日が西部邁先生と会った最後の日となった。
昨年末、先生が1993年に出版した『リベラルマインド』が新装版として出版されることが決定した。その解説を書かせていただくことになり、打ち合わせとして、先生のご自宅に招いていただいた。
自ら命を断つ決意をしていることは、すでに繰り返し聞かされていた。そして、「その日」が迫っているということもわかっていた。
先生は病院での死を、ことの外、嫌っていた。自分を保つことができない状態で、延命を目的とした時間を過ごすことを、思想的に是としなかった。自分の意志で行動できる間に、自ら死を選ぶという決意を語っていた。
年始に面会することになったとき、最後の時が来たことを察知した。翻意させたいという気持ちが強かったが、それが難しいこともわかっていた。ただ重い気持ちを抱えたまま、当日の朝を迎えた。
行きたくなかった。もちろん会いたい。しかし、会うことで、先生が一つの区切りをつけようとしているのだとすると、死を後押ししてしまうことになる。そもそも、最後、どのような言葉を交わせばいいのか。
複雑な気持ちが絡まり、足が重かったが、何とか電車に乗った。最寄りの駅で降り、駅前でコーヒーを一杯飲んだ後、ご自宅に向かった。何度も歩いた道が、いつもより静かだった。
お会いした先生は、身体が辛そうであったものの、頭脳は明晰だった。保守とリベラルの相互補完関係について議論を交わした。保守思想家たちの死のあり方についても話した。
会話の中で、「自分の命は a few weeks(数週間)だ」と言った。返す言葉がなかった。
約7時間も話し続けた。楽しい時間だった。
帰る予定の時間になると、「もう少しいてほしい」と言われた。終電間際の時間まで話は続いた。
最後の時、椅子から立ち上がると、先生はふと背を向けた。そして振り返らない。私は静かに頭を下げ、部屋を出た。
西部邁という稀代の思想家に師事できたことを誇りに思っている。優しい人だった。
(なかじま たけし・『週刊金曜日』編集委員。2018年1月26日号)
※『週刊金曜日』2月23日号に、<中島岳志責任編集>追悼特集「西部邁とリベラル・マインド」を掲載しています。 https://www.kinyobi.co.jp/tokushu/002503.php