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石牟礼さんの思い
小室等|2018年3月11日7:00AM
一九八〇年、環境学者で公害問題研究家の宇井純さんを校長とする市民政治学校なる集まりがあった。その年四月、宇井校長の引率で「市民政治学校“校外講座”修学旅行〈志布志・水俣・土呂久〉」と題して公害ツアーが敢行された。
一行四九名。ジャーナリスト、教員、レントゲン技師、会社員、主婦、学生、さまざまな参加者の中に芸能評論家の加東康一さん、映画評論家の林冬子さん、もちろん矢崎泰久編集長や中山千夏さんもいた(ちなみにこの年七月に千夏さんが参院選初当選)。
一行のバスに乗り込んで水俣を案内してくれるはずの熊本大学医学部の原田正純さんがバスに乗ってこない。原田さんとともに案内してくれる予定だった水俣病患者連盟委員長の川本輝夫さん(一九九九年逝去)が公務執行妨害だとして逮捕され、急遽支援に向かわれたのだ(ちなみに、宇井、原田両氏は、それぞれ東大助手、熊大助教授。御用に逆らってほんとのことを言うものに教授のポストはないということ)。
原田さんはその晩、われらの宿舎での夕食会に石牟礼道子さんを伴っておいでになった。お二人はたくさんのことを語ってくださった。水俣病患者として補償を受けるには認定を受ける必要がある。
「しかし、毎日毎日、水銀に汚染された魚を同じように食ってきて、同じ症状を訴えながら、お父ちゃんは水俣病、お母ちゃんはたんなる神経痛。これじゃ、患者も納得できんわけですよ。だいたい、認定などという馬鹿な言葉は我々の医学用語の中にはないわけですよ。医学にあるのは診断ということだけです。(略)補償問題に歯止めをかける意味しか持たない認定という制度が、水俣病を本質から見つめることを拒み、水俣病の現状をゆがめているわけです」(小室等『涙よ枯れるな』話の特集)
石牟礼さんは「直接関係のないあなた方に対してこんな話をするのは本当に申し訳ない、スミマセン、スミマセン、といいながらトツトツと水俣の状況を語ってくれた。石牟礼さんの話は、その語る言葉を探し選んでいるように思える沈黙の方がずっと長いように感じられるものだった。その沈黙は、長い水俣病の運動の中で、語ることのむなしさをいやというほど知らされ、しかも語ることをやめるわけにはいかない石牟礼さんの、そして水俣病患者の慟哭を語っていたのだと、僕には思えた」(同)
若かったとはいえ、石牟礼さんの思いがわかったつもりになっている自分が恥ずかしいが、あの日の幼いぼくの気持ちだ。
宇井さんも、原田さんも、そして石牟礼さんもいない。
(こむろ ひとし・シンガーソングライター、2018年2月23日号)