君が代斉唱時に不起立、教職員の再処分は4回目
都教委、教師2人を改めて戒告に
永尾俊彦|2018年3月19日6:01PM
東京都教育委員会は、2月21日、2010年と11年の都立高校卒業式での君が代斉唱時の不起立を理由に減給処分にした現職の教師2人について、教師らが処分取り消しを求めた裁判で東京地裁が昨年9月に「懲戒権の逸脱・濫用」を認めて処分を取り消し、都教委が控訴せず判決は確定していたのに、改めて戒告処分にした。
最高裁は12年の同様の訴訟で、「戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択することについては慎重な考慮が必要」とし、戒告は容認したが、減給・停職処分は取り消し、以後の最高裁、東京高裁、同地裁の各判決で延べ73件63人の処分が取り消された(「被処分者の会」による)。
しかし、都教委は処分が取り消された教職員を再処分し、今回は4回目で、再処分された者は延べ18人になる(同)。都教委は03年10月23日に都立学校校長に通達を出し、卒業式・入学式などで教職員が「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」指針に従わない場合、服務上の責任を問われることを周知せよと命じた。処分されたのは今回の2人を含め、延べ482人にのぼる(同)。日本における今世紀最大級の思想弾圧事件の様相を呈している。
【いじめのような仕打ち】
今回再処分された井黒豊さん(数学)は、「都教委は、12年の最高裁判決を受けて懲戒処分の規定を変更、現在の戒告処分の経済的不利益は変更前の減給より重くなっています。これでは、何のために裁判を闘ったのか分かりません。都教委は間違った処分を出して司法に裁かれたのだから、謝罪すべきなのに再処分をするなんてまったく反省がない」と話した。
井黒さんはキリスト教の信仰を持つ。「日の丸」は国家神道という異教の偶像であり、「君が代」はその賛美歌だ。だから、都教委は「儀式的行事における儀礼的所作だから信仰の自由を侵害しない」というが、到底受け入れられない。
井黒さんの教育信条は、生徒の価値観の多様性と自主性を重んじることだ。だが、上意下達の職務命令で教職員が起立斉唱させられることは、生徒への圧力になる。
再処分を受けたもう1人の井上佳子さん(英語)は、外国にルーツがあったり、日本の戦争について学んだことで「日の丸・君が代」に疑問を持つなどして起立したくないという生徒に出会ってきた。だから、「私が起立することは、生徒に立って歌えと強制する側に加担するように私には思える」。
また、戒告処分であってもボーナスを一部カットされるなど経済的打撃も辛い。「物言わぬ教員を作るための見せしめです。これでもか、これでもかと都教委の仕打ちは陰湿で、執念深いいじめのようです」と語った。
「被処分者の会」は、今年1月26日に再処分の撤回、謝罪などを求める要請書を都教委に出した。だが、回答は「懲戒処分の取消しや撤回は、考えておりません」。
しかし、最高裁の12年の判決は、補足意見ではあるが、「不起立と懲戒処分の繰り返しは教育現場のあり方として容認されるものではない」と指摘し、教職員側は都教委との話し合いによる解決を求めている。
この点を小池百合子都知事はどう考えるのか。筆者は、昨年9月の東京地裁判決後2週続けて知事の定例記者会見に出席して挙手し続けたが、毎週のように指名される記者もいるのに指名されなかった。
2月16日の定例記者会見にも出席して手を挙げたがまたしても無視。やむなく別の記者が都立高校入試について聞いたのを機に、強引に「話し合うつもりはないか」質問した。知事は、「突然のご質問でございますので、また、裁判に関係することでございますので、司法の場の判断に任せたい」と答えた。続けて、「知事のおっしゃるダイバーシティ(多様性)には思想、良心、信仰の自由も含まれるのか」と言いかけたら途中で打ち切られ、別の記者を指名した。
小池知事のダイバーシティという公約は、ニセモノだと言わざるをえない。
(永尾俊彦・ルポライター、2018年3月9日号)