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原発事故から7年、避難指示解除から1年の飯舘村 除染の限界を被るのは村民
岩崎眞美子|2018年3月20日12:19PM
2月17日、福島市で第9回目となる飯舘村放射能エコロジー研究会(IISORA)主催のシンポジウムが行なわれた。同研究会では、事故直後の11年3月から、京都大学原子炉実験所研究員の今中哲二氏らと村民が協力し、村内の放射能汚染状況を継続的に調査してきた。飯舘村では事故以降全村避難が続いていたが、国が避難指示解除の根拠とした年間被曝量「20ミリシーベルト以下」の基準を元に、昨年3月には長泥地区を除く村の大部分が避難指示解除。この1年で607人が帰村したが、事故以前の村の人口の9割は今も福島県内外に避難したままだ。
【自己責任論の東電に怒り】
シンポジウム前半は村民が登壇。事故から7年の思いを訴えた。「飯舘村民救済申立団」団長の長谷川健一氏は、東京電力への裁判外紛争解決手続き(ADR)がまとめた、事故後9ミリシーベルト以上の被曝をした約200人に1人15万円の賠償をする和解案に対し、東電が「村民の避難が遅れたのは村の政策判断」と却下した理不尽に怒りをあらわにした。
「牛の世話があったり要介護者があったりして避難が遅れたこと。『いいたて全村見守り隊』が組織されて村に残った人がいたこと。それは村が決めたことで、村民がそれに従って避難しなかったのは『自己責任』だという。冗談じゃない。東京電力には加害者の自覚はあるのか」(長谷川氏)
「土いじりが何よりの喜びだった」と語る細杉今朝代さんは、昨年帰村し、再び家庭菜園を始めた。作った野菜からは放射能は検出されず安堵したが、「マスクや手袋をするのは、作物がかわいそうな気がする。放射能のことは頭から離れたことはない。村に戻ったからといって東電を許したわけではない」と複雑な心境を語った。
【今も続く「例外状態」】
後半は村民とともに調査にかかわった研究者らが登壇。日大生物資源科学部特任教授の糸長浩司氏は詳細なデータを示しながら飯舘村の除染の効果と限界を語った。
除染と自然衰退で飯舘村の生活区域の空間線量は低減したが、土壌については除染前後の農地でも、未だ250~3000ベクレル/kgの放射性セシウムが測定されている。気になる農産物への影響は、423ベクレルの土地で栽培した白菜やナスの測定結果は3ベクレル。移行率は0・7%以下と非常に低い。とはいえ、環境省が定めた「指定廃棄物を安全に再利用できる基準(100ベクレル)」をはるかに超える土壌で農作業を続けなければならない村民の現状はどう考えても理不尽だ。
「緊急時に決めた基準が今でも生きているという『例外状態』が続いている。それにマヒしてしまっていることが一番危険。この問題は産業公害。責任を問い、補償に繋げなければいけない」(糸長氏)
国が「世界の基準」として示すICRP(国際放射線防護委員会)が定めた一般公衆に対する空間線量限度は年1ミリシーベルト。「20ミリシーベルト以下」は最高でもこの値という必須条件にすぎない。国や行政は、帰還後に住民が受ける追加被曝線量が年間1ミリシーベルト以下になるように、責任を持って取り組む必要がある。しかし、飯舘村など昨年避難指示区域が解除された地域では、環境省や行政による「20ミリシーベルト以下は安全・安心」キャンペーンが行なわれている現実がある。
「汚染と被曝に関してはきちんと数値で示す。それを見てリスクをどう判断するかは極めて個人的な選択であり、行政が決めることではない。被災者がどのような選択をしようとその選択を支援する責任が国と東電にはある」(今中氏)
余分な被曝はできるだけ避けたほうがよいのは当然のこと。しかし、生まれ故郷で暮らすためには、それなりの被曝を受けることも避けられない。相反する状況に折り合いをつけながら生きる理不尽は、誰によって何によって引き起こされたものなのか。原発事故から7年の春。国と東電の責任を強く問い続けることの重要性を痛感した。
(岩崎眞美子・ライター、2018年3月9日号)
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