獄友の明るさと苦悩
雨宮処凛|2018年3月29日5:10PM
袴田巖さんに初めて会った。
1966年に起きた、一家4人が犠牲となった事件の犯人にでっち上げられ、48年間も獄中に囚われていた元プロボクサーの袴田さんである。死刑囚として死刑執行に怯える日々を過ごし、2014年、実に半世紀ぶりに釈放された人だ。
重い拘禁症を患っていることは、テレビなどで目にしていた。が、2月24日、再審開始を求める集会で会った袴田さんは穏やかな表情で私に挨拶してくれた。袴田さんをずっと支えてきた姉の秀子さんとは、昨年の5月以来の再会だった。
無実の罪で殺人犯にされ、何十年も獄中にブチ込まれる――。誰にとっても、人生でもっとも起きてほしくない事態だろう。が、そんな経験をした人たちと私は昨年、多く出会った。
きっかけは5月に開催された「狭山事件」の石川一雄さんの集会。94年に釈放されたものの、獄中生活は実に31年7カ月。その集会には、石川さんだけでなく、他の冤罪被害者も来ていた。
67年の「布川事件」で逮捕され、29年間も刑務所にブチ込まれていた桜井昌司さん。
90年、栃木で起きた女児殺しの犯人にでっちあげられ、17年6カ月を獄中で過ごした菅家利和さん。
袴田さん、石川さん、桜井さん、菅家さんの獄中年数を足すと、4人でなんと125年以上。ただただ言葉を失った。
冤罪について、もともと関心はあった。しかし、当事者の方々に出会ったことで、もっともっと知りたい、と思うようになった。ちなみに私が昨年の石川さんの集会に参加したのには下心があった。当時は共謀罪が成立する前で、反対運動が盛り上がっていた頃。ふとネットで見つけた「共謀罪が成立したら捕まりそうな人リスト」に私の名前がランクインしていたのだ。
これは、今のうちに冤罪とかに詳しい人たちと仲良くなっておかなければ!
そんな下心もあって参加した集会だったが(そしてスピーチでもそのことをぶっちゃけた)、実際に長く獄中に囚われていた人々の話にそんな思いは一瞬で吹き飛んだ。そうして、思った。どうしてこの人たちがこんな目に遭わなければならなかったのか。その責任を、果たして誰がとってくれるというのか。なぜ、個人の人生よりも、警察や検察のメンツが優先されるようなことになっているのか。いろんな疑問が一気に頭を駆け巡りつつも、一番大きな問いはこれだった。なぜ、この人たちはそんな目に遭いつつも、こんなに明るく魅力的なのか。
袴田さんと会った数日後、彼らを追ったドキュメンタリー映画『獄友』の試写会に行った。彼らの明るさの影にある深い苦悩も描いた映画に、冤罪や死刑、司法、権力のあり方について、改めて考えたのだった。
(あまみや かりん・『週刊金曜日』編集委員。2018年3月9日号)