作家を殺す「著作権法改正」
明石昇二郎|2018年3月30日7:16PM
著作権法の改正で勃発する外交問題
文化庁著作権課の秋山卓也課長補佐は、今回の著作権法改正案について次のように説明する。
「インターネット情報を検索して、膨大な情報の中から我々が新しい情報に触れる機会を与えているという、社会的な意義があるサービスなので、権利者(著作権者)に及び得るごくごく軽微な不利益については少し我慢をしていただいて、権利を制限しましょうという発想です」
文化庁は、著者に無断で書籍の全文をデジタルスキャンしてテキストデータ化し、インターネットで無料検索できるサービス――つまりグーグルブックス――には「社会的意義が認められる」と考えていた。
現行の著作権法で同様のサービスが許されているのは、国立国会図書館だけである。ただし、ユーザーが自宅等でインターネット検索することはできず、いちいち国会図書館に出向いて検索を行なう必要がある。
それを民間業者にも許し、さらにはインターネット検索もできるようにしようというのが、今回の著作権法改正案だ。
「アメリカでは認められているのに、(日本では)著作権が足かせになってできないのであれば、解消しましょうということです」(秋山補佐)
しかし、国会図書館の「書籍テキストデータ」は純然たる公共物であるのに対し、民間業者のそれは「社会的な意義」というあやふやな概念が根拠の私物である。それに加え、国会図書館のデータは図書館内でしか扱えないのに対し、民間業者が管理する「私物」のデータベースはインターネットに接続して利用するのが前提だ。
インターネットに接続する限り、サイバー攻撃やデータの大規模漏洩と無縁で済ますことは不可能である。民間業者のデータベースがサイバー攻撃を受け、書籍テキストデータが大量流出する事態になれば、漏れ出した本の著作権者らは「ごくごく軽微な不利益」どころではないダメージを被る。
書籍データを扱う民間業者が倒産してしまうことも考慮すべきだろう。データベースの管理が疎かになれば、データ流出の危険も高まる。
さらに危険なのは、「アメリカでは認められている」から日本でもいいだろうとする理屈である。著作権の世界において大勢を占める考え方は、米国的な考え方ではなく、ドイツやフランスなど欧州的な考え方のほうにある。実を言うと米国流の著作権は圧倒的少数派なのだ。
前述したとおり、8年前の「グーグルブック検索和解」事件の際、和解案を審査していたニューヨーク南部地区連邦地裁には、ドイツやフランス、英国などの作家からオブジェクションが文字どおり殺到した。ドイツやフランスに至っては、国家として異議を申し立てていたほどである。そしてグーグル社は、これらの異議に敗北を喫していた。
著作権法の改正により、こうした裁判が今度は日本の裁判所を舞台に繰り広げられる恐れがある。しかもその裁判では、グーグル社などの民間業者ばかりか日本政府も一緒に訴えられる可能性が高い。
民間業者は新・著作権法の保護のもと、日本国内にある書籍を片っ端から無断全文スキャンすることだろう。そんな本の中には、フランス語や英語で書かれた書籍もきっと含まれることだろう。そして同法改正案には、それを禁ずる規定は見当たらない。
グーグル社をはじめとした、たった数社の民間業者のビジネスのため、矢面に立つ――。その覚悟が、今の文化庁にあるとはとても思えない。
こんなバカな話になるのも、世界中を巻き込んだ著作権侵害事件の総括を、文化庁や日本政府がしていないからなのである。
ともあれ、「グーグルブック検索和解」事件の時と同様、著作権者は相当な苦労や面倒を強いられることになりそうだ。
(あかし しょうじろう・ルポライター。著書に『グーグルに異議あり!』〈集英社新書〉など)