怪物「保護主義」の
眠りを覚ますな
浜矩子|2018年4月14日8:45AM
財務省は文書を改竄する。厚生労働省はデタラメな数字の比べ方をする。文部科学省は教育現場にぞっとするようなやり方で介入する。いずれの場合も、背後にちらつくのが殿様の言葉やご意向への忖度だ。かくして、「忖度ゲート」が安倍政権の命取りとなる。
こうなれば、誠にめでたい。だが、その次にまた、どんな妖怪集団が日本の政治を牛耳ろうとするのか。そのことにも警戒の目を向けておく必要がある。
時あたかも、グローバル情勢の雲行きが実に怪しげだ。「継続は力なり」が合言葉化しているようだ。中国では習近平氏が事実上の終身主席の座を手に入れた。ロシアでも、プーチン大統領が永久王者化の野望を露骨に打ち出している。習氏の展開をみる米国のトランプ米大統領の目が羨ましげだ。彼もまた、親分の座に末永く居座りたそうな雰囲気ムンムンである。忖度ゲートで足元が危うい安倍首相も、歴史に残る長期政権の記録樹立を目論んでいたのだろう。
権力に固執する人間たちが世界のあちこちで政治の舞台中央に出てくると、経済活動の本来の姿が脅威にさらされる。経済活動の本来の姿を支えるのが、二つの要素だ。分かち合いと支え合いである。分かち合いを言いかえれば「シェア」。支え合いを言いかえれば「ケア」。シェアとケアが出合う時、人間による人間のための営みとして、経済活動がその本領を発揮する。
ところが今、シェアもケアもないところに国々の経済関係をもっていこうとする怪物が蠢き始めている。この怪物の名が保護主義である。
貿易相手国の「不公正な貿易慣行」に制裁を加えるというので、トランプ大統領が米通商法の「301条」あるいは「スーパー301条」を発動すると息巻いている。二つの301条には、筆者にとって実に懐かしい響きがある。1980年代後半、筆者が前の職場の三菱総合研究所で日米通商摩擦問題の成り行きを懸命になって追っかけていた頃、これら二つの301条が大きな焦点となっていた。
ということは、要するに、二つの301条を根拠に敵の「不公正な貿易慣行」をやっつけようという考え方が、実に古臭い発想だということにほかならない。
1990年に入って、この種の報復主義的な通商政策は、アメリカにおいても、他の国々においても、次第に影を潜めるようになっていった。それはなぜか。答えは簡単だ。分かち合いと支え合いが国境を超えた経済関係の日常をすっかり支配するようになったからである。
グローバル化が進む中で、モノづくりの体系は、幅広く越境的広がりを示すようになった。製品分業から工程分業へと、分業関係の構造変化が進んだ。誰も一人では生きていけない時代になった。だから、通商の世界でお互いにバッシングすることが理屈に合わなくなった。
それなのに、時代錯誤な保護主義の怪物を目覚めさせようとする動きがある。時あたかも、今年は第1次大戦終結100周年。あの1918年から始まる両戦間期、保護主義の怪物を育て上げた。今、その眠りを覚ましてはいけない。
(はま のりこ・エコノミスト。2018年3月30日号)