末期にさしかかった安倍政権
佐藤甲一|2018年5月7日5:39PM
「政界の狙撃手」との異名をとった故・野中広務氏の「お別れの会」が4月14日、京都市内のホテルで営まれた。京都国際会議場に次ぐ「京都では2番目」(野中事務所関係者)の広さを誇る会場だが、別れを惜しむ関係者が次々と訪れ、入りきれぬ出席者が続出した。
本誌4月13日号『新・政経外科』で佐高信氏は、麻生太郎財務大臣こと“阿呆太郎”が、野中氏を派閥の会合で「部落出身者」と指摘し、その後の自民党総務会で野中氏から激しく詰め寄られ赤面したエピソードを紹介している。
その麻生氏こそ出席しなかった(できるわけがない)が、麻生氏を頼みとする自民党総裁の安倍晋三首相が弔辞を述べた。「平和の番人たる先生の発する言葉の一つ一つは心の奥まで響くすごみがあった」と語ったが、果たしてその言葉を泉下の野中氏はどのように聞いただろうか。自らの責任を顧みようとせず、官僚に責任を押しつけ、それら官僚を「ウミ」とまで言い切る厚顔無恥な姿勢を厳しく糾弾するに違いない。
党主催の「お別れの会」だけに、二階俊博自民党幹事長は「正義を貫き、不正を憎み、弱き者に寄り添った」と讃えたが、野中氏ならばやはり、「空虚」な弔辞を並べる安倍首相に「あなたにあいさつはしてほしくはない」と言い放ったであろう。
前述の佐高氏は「方程式」をキーワードに論を展開しているが、その言葉をお借りすれば、従前の永田町の方程式からすれば、政権はすでに末期に差し掛かっていると言っていい。
森友学園問題に関する財務省の文書改竄、防衛省による自衛隊の日報隠蔽、さらには福田淳一財務事務次官による「セクハラ発言」の“容認”、東京労働局長の恫喝発言など、政府の腐敗ぶり、傲慢ぶりは止まるところを知らない。加えてこれをすべて官僚のせいにする安倍首相、麻生財務大臣の無責任さは、もはや国民の代表である政治家の資格すらないといって過言ではないだろう。
すでに政権崩壊の兆しは表れている。世論の動向を測るものは、一つは国政選挙をはじめとする内外の選挙であり、もう一つは世論調査の内閣、政党支持率である。一つ目の国政選挙は来夏の参議院選挙まで予定されているものはないが、毎月定期的に行なわれる報道機関の世論調査がどのような支持率を出してくるかどうかが、重要な要素である。その数字を基に、政権を支え続けるのか、新たな総裁を担ぐのが党のため、言いかえれば一人一人の議員の利にかなうのかを判断するのである。
もう一つ、政党の重要な役割は法案の成立を期することにある。現下の安倍政権ではこの国会の重要法案である「働き方改革」関連法案の衆院上程すら目処が立っていない。(注)
最低2カ月の審議時間が必要とされているだけに、5月連休明けには審議が始まらなければ、廃案となりかねない。タイムリミットは迫っているのである。国民に支持される総理総裁を創ることと法案を成立させること、与党にとってこの二つの使命が成されなければ、自民党そのものが国民の信を失い、政権を手放すことになる。
安倍退陣を迫るのは野党の役割ではない。国民の意思と政権与党である自民・公明の責任が問われているのである。
(注)
〈衆院厚生労働委員会は(5月)2日、安倍晋三首相が今国会の最重要法案と位置づける働き方改革関連法案の質疑を始めた。立憲民主党など野党6党は、森友学園や前財務事務次官のセクハラの問題などを理由に麻生太郎財務相の辞任を求めて国会審議の拒否を続けており、この日も終日欠席した。〉(毎日新聞公式サイト)
(さとう こういち・ジャーナリスト。2018年4月20日号)