人間性が問われる
安倍首相の「辞め方」
西谷玲|2018年5月24日5:20PM
ゴールデンウイークが明け、国会が本格的に再開した。与野党の対立は頂点に達しているが、もはや安倍政権は内政的にも国際的に見ても失政の連続である。
前々回のこのコラム(3月9日号)執筆時に、『朝日新聞』の特ダネである公文書改竄問題が転換点かもしれないと記したが、まさにその通りになっているようである。
財務省文書改竄だけでなく自衛隊のイラク派遣の時の日報隠し、そしてセクハラ問題……。問題が次から次へと露呈する。一つ明るみに出ると、連鎖的にまた次の問題が出てくる。
政権が弱まってくると、こういった負の循環が始まるものである。政権に体力があれば一つひとつリカバーしていけるものなのだが、今は一つの問題が起こってその対応に追われ、右往左往している間に次の問題が起こる。前の傷口が癒えぬままにさらに新たな傷を受けてどんどん状態が悪化していくのである。
官僚とは現金なもので、一度政権を見切ると、政権へのベクトルがまったく逆方向になる。そして自分の保身に走る。今はまさにその状態のように見える。
半年前にはこんなふうになっているとは予想できなかった。まさに政治は一寸先は闇、なわけだが、先の総選挙の際、安倍政権への支持は高いわけではなかった。「なぜ今選挙なのか。大義はないのではないか」という疑問の声が与党支持者からも聞こえた。だが野党の分裂と、投票日当日の悪天候に支えられ、安倍晋三首相は大勝した。しかし、それだけに一度崩れ始めると早いのである
ここまで来ると、もはや安倍首相の3選はかなり難しくなったと言っていいだろう。安倍首相の側近はかつて語っていた。「安倍さんは、総裁選では大勝ちしないと意味がないと思っている。ぎりぎりの勝利ではプライドが許さない。大勝できないと見切ったら、総裁選に出ないかもしれない」。つまり、「不戦敗」もあるかもしれないというのである。
そもそも安倍首相は挫折を経て2回目の首相の座になぜ挑戦したのか。「やりたいことがあったから」である。つまり、憲法改正だ。だが、この政治状況から見て、安倍政権のうちに憲法改正を実現するのはほぼ不可能になったと言っていいだろう。安倍首相が政権の座についているモチベーションがどうなるのかは不透明だ。
権力の座にある人間が、最後をどのように終わらせるかで、その人物の器の大きさや実力、人格が見えてくるものである。権力の座にしがみつくのか、さらっと譲り渡すのか、後継者を指名するのかどうか。
その意味で言えば、今後安倍首相がどのように最高権力者の座から降りるかで、彼の人間性や人格がわかるのだ。これからが真価が問われるといってもいいかもしれない。しかも、最近まれに見る長期政権だっただけに、その最後をどうするのか、けりをどうつけるのかは非常に注目される。
あくまでも3選をめざすのか、それともあっさりやめるのか。後継者に自分の影響力を行使したいと思うのか。それとも後はもう権力に固執しないのか。彼が何のために今政治をやっていて、何をしたいのか、したかったのかは、今後の「辞め方」でさらにまたクリアになるだろう。
(にしたに れい・ジャーナリスト、2018年5月11日号)