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法定労働時間の
大幅な短縮が有効
高橋伸彰|2018年5月26日8:00PM
ケインズが主著『雇用、利子および貨幣の一般理論』で、利子率をゼロにまで引き下げ資産家の安楽死を! と唱えたのは、稀少な貨幣を海外の金融投資に回す資産家の行動が国内の利子率を高め、生産と雇用を拡大しようとする企業の投資を阻んでいると見たからだ。
しかし、デフレ下の日本では金利がゼロ近くにまで低下しても、資産家は安楽死せずに膨大な貨幣をマネーゲームに投じ、企業家もグローバル競争での生き残りを口実に国内の労働力を買い叩き、生産拠点を海外に移転して利潤をあげている。
私利私欲に走る資産家とは異なり、企業家はアニマルスピリッツを発揮して国内生産を拡大し雇用の増加と安定を図ると期待したから、ケインズはマクロ的な財政金融政策によって企業家を支援すべきだと提言したのだ。もしケインズが現代に甦り、雇用を犠牲にしても利益の拡大に奔走する企業家を見たなら、資産家だけではなく企業家も安楽死へと導く新しい経済学に取り組んだに違いない。
言うまでもなく冷戦の終焉は資本主義が社会主義に勝利して「歴史が終わった」日ではない。旧ソ連の存在によって歯止めが掛けられていた資本主義の「暴走が始まった日」である。それはマルクスが『資本論』で剔抉した「自由で対等とされる労使関係が一種独特の(賃金)奴隷制であること」(廣松渉『今こそマルクスを読み返す』)を、改めて白日の下にさらした日でもあった。
ケインズは非自発的失業を解決し雇用の安定を図るためには、需要を増やし労働者の標準的な賃金で測った経済全体の産出量を増やすことが重要だと主張した。ケインズが言う標準的な賃金とは使用者と労働者の対等な交渉で決まる賃金である。その意味で雇用環境がいくら改善しても、実質賃金の下落が止まらない日本の事態はケインズにとって「想定外」にほかならない。
こうした異常な事態を打破するには、いわゆる「働き方改革」で高度プロフェッショナルなど成果賃金の拡充を図るよりも、法定労働時間を大幅に短縮するほうが有効だ。具体的には現行の週40時間1日8時間を、10年程度の移行期間を設けて週20時間1日5時間に短縮するように労働基準法を改正したらどうか。
そんなことをしたら企業がもたないと大反対が起こるかもしれないが、私たちが生きていくために必要な働く場所まで消滅するわけではない。私たちは暮らしを守り豊かな生活を送るために働くのであり、労働力を買い叩いても利益をあげようとする企業のために働くのではない。
誤解がないように付言すれば、法定労働時間の短縮は法定時間を超えて労働者が働くことを禁じる規制ではない。法定労働時間を超える残業を命じた使用者に割増賃金の支払いを義務付ける法律である。
それでも非現実的だと批判する人は、ケインズが『一般理論』の序文で語った次の言葉を噛みしめてほしい。「困難があるとしたら、それは新しい考えの中にではなく(中略)精神の隅々にまで染みわたっている古い考え方から逃れ出ることにある」。これこそ、現在に甦るべきケインズ経済学のフィロソフィーなのである。
(たかはし のぶあき・立命館大学国際関係学部教授。2018年4月6日号)