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東芝に勝った上野仁とその仲間へ
佐高信|2018年5月31日1:11PM
「東芝府中工場から職場八分をなくし上野仁さんを守る会」記録集の『東芝府中人権裁判の足跡』と、副読本のマンガ『東芝に勝った男』を受け取りました。
私も支援集会で話させてもらいましたが、1988年秋の「人権裁判提訴六周年記念集会」での松下竜一さんの講演の際のアトラクションがユニークでしたね。「集会のスタイルも型にはまらないものを目指した」ということがよくわかります。
上野さんは遠慮がちに、いまは亡き松下さんにこう電話したのですね。
「府中市に〈元気屋〉という若い豆腐屋さんがいるんですけどね、この人はセンセの『豆腐屋の四季』に感動して豆腐屋を始めたんだそうです」
「エーッ、まさかあ!」
と驚く松下さんに上野さんは続けます。
「ほんとなんです。ぼくも知ってびっくりしたんですから。この人が松下センセとの対面を心待ちにしてるんです。そこで考えたんですけど、元気屋さんが作った豆腐を水槽ごと会場に持ち込んで、センセに切り分けていただけないかと……」
「な、なんという突飛なことを思いつくんですか!」
あわてる松下さんに、
「いえ、これはぼく一人の思いつきじゃないんです。今回の実行委員全員がぜひにといってるんです。元気屋の彼も、松下センセに切り分けてもらえるなら本望だといってますし……」
と上野さんは食い下がり、この試みは実現したとか。
監視・抑圧の組織「扇会」の存在明るみに
1982年1月22日付『毎日新聞』多摩版に「批判ビラで“職場八分”に――工員、慰謝料求め訴訟」という見出しで、次のような記事が掲載されました。
「会社や労組に批判的なビラを配ったのを発端に、上司からいやがらせを受け、職場でのけものにされた――と、府中市の東芝府中工場の板金工が、会社と上司を相手取り、慰謝料など五百五万円余を請求する訴訟を二十一日、東京地裁八王子支部に起こした」
訴えたのは同工場材料加工部製缶課に勤めていた上野さんで、当時25歳でした。
“職場八分”はラインの同僚全員が日常のあいさつをしないだけでなく、製造長が上野さんに暴行を加えるといった形で行なわれましたね。
この訴訟に対し、同工場の総務部長は「訴状を読んでから検討するが、安全を確保するため常時から注意は厳しく行っており、受け取り方の違いではないか。暴行の事実はない。上野君は技能オリンピックに入賞した経験もあり、期待していただけに残念だ」などとコメントしています。
この裁判の過程で、会社側が社員を監視する秘密組織「扇会」の存在が明らかになりました。1974年に1800人余のメンバーで結成されたこの組織は「本社勤労部を生みの親とし、近代労使研究会なるものを育ての親として」いて、労働組合総体の“御用化”と会社・組合の方針に批判的な労働者を監視・抑圧するスパイ組織としての役割を担っており、その機関誌の名称が「おおぎ」です。
扇会では「職場での行動に空白部分が多く、昼休み時、終業後の行動が見当つかない」人などを「問題者」として尾行したりしていたのですね。
これが暴露されて東芝はあわてたわけですが、監視や統制が当たり前の東芝に自主性が育つはずもなく、粉飾決算などに突き進むのは当然だったでしょう。
上野さんの仲間の松野哲二さんは早くから、東芝労組の原発推進論をとても危険なものとし、内側から反対してきました。2人を経営者にしていれば、東芝も助かったかもしれません。
(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、2018年5月18日号)