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【憲法を求める人々】新田嘉一
佐高信|2018年6月9日7:00AM
山形県の庄内地方で「九条の会」を始めた経営者がいる。平田牧場グループ会長の新田嘉一である。
「当時のメンバーはみんな亡くなってしまった」
と新田は残念がるが、80代半ばになっても、この憲法を変えようなどという人間はおかしい、と語気を強める。
「戦争はみじめさしか生まない」ことを骨身にしみて知っている新田は、中国との悲しい歴史を平和の歴史に変えるために「東方水上シルクロード航路」の開設に力を注いできた。
新田には小さいころからフロンティア精神があり、農家の長男に生まれたのに畜産をやりたいと主張した。当時、それはとんでもないことであり、勘当を言い渡されそうになる。その時ただ1人、
「そんなにやりたいんなら、やらせてやれ」
と賛成してくれたのが、おばあちゃんだった。
鶴の一声ならぬ祖母の一声である。米づくりは弟が担当することになった。この一声がなければ、いま評判の「平牧三元豚」は生まれなかったかもしれない。往時を振り返りながら、
「女性のパワーには男性はかないませんね」
と新田は言い、
「女性は妥協しないですから。男は簡単に妥協してしまう」
と続けた。
新田を畜産に進ませるのに一役買ったのは、酒田市長となった小山孫次郎である。東大農学部出の小山は東畑誠一の弟子だった。
小山の従兄が本間病院院長の本間誠で、隠れもなき共産党員。著名な本間家の変わり種の誠を支えて新田は革新市政の誕生と継続に走りまわった。
現在は自民党や公明党の応援もしているが、護憲の立場は崩したことがない。
一度、私が仲介して、新田に同い年の菅原文太と対談してもらったことがあるが、改憲なんて愚の骨頂だという点で共鳴していた。
勲章はいらないということも昔から言っている。
ユニークな免疫学者の多田富雄が、新田について書いた一文には
「ある年の夏、初めて新田さんにお目にかかった。新田さんは、うわさにたがわず無口で頑固そうな、含羞に満ちた庄内の男だった。しかし、一目でものを見通すような眼光の気迫は、並ではなかった。強い破壊力を秘めた、不発弾を見てしまったような気がした」
とある。
多田はその後、桃園豚について触れている。中国で何百年もかけて育種した究極の豚である桃園豚は飼育が困難で絶滅の危機にあった。中国本土にも台湾にも種が尽きて、平田牧場だけが細々と受け継いでいる貴重な品種なのだとか。多田によれば「その味といったら、到底並の黒豚などとは比較にならない」という。「こちらも芸術品だ」と多田は折り紙をつけているが、新田の美術品、とくに絵画のコレクションがまたすばらしい。
中国の“人間国宝”である黄胄の絵は彼が苦境に陥った時に助けたから所蔵しているものであり、文化勲章を受けた森田茂の絵も、その受賞前から、ある種スポンサーとして収集していた。さらには東北で唯一の竹久夢二美術館も新田のコレクションで満たされている。文化を愛する者は平和を愛し憲法を愛するということだろう。
そのズーズー弁はかなりわかりにくいが、寺島実郎や私が客員教授となっている東北公益文科大学の、新田は理事長でもある。
(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、2018年5月25日号。画/いわほり けん)