ピーター・ノーマン
小室等|2018年6月15日7:26PM
バラードがタイトルにある、読者諸兄姉が知っていそうな楽曲名を挙げてみると、一九八〇年のレオ・セイヤーの「星影のバラード」が有名かもしれないが、六一年のボビー・ヴィーが圧倒的にいいよね。日本でなら海援隊の「母に捧げるバラード」、世良公則の「あんたのバラード」あたりかしら。
西欧クラシック音楽を元にする「バラード」は別にして、ポピュラー音楽の世界でバラードといえばおおむねスローでメロウ、美しい静かなアレンジの楽曲のことを指すが、わがフォークソングの世界だと、バラードとは「バラッド」のことだ。
六〇年前に故・中村とうようさんが出された楽曲集『フォークソング』(日音プロフェッショナル・シリーズ)では、バラッドについてこう書いている。
〈簡単にいえば「物語り歌」である。物語りといっても、ストーリーが最初から最後まで語られている必要はない。その一部分でいいし、ストーリーがあったものが、ほとんどその姿をとどめないほど崩れていてもかまわない。
かつて、マス・コミが未発達だったころ、さまざまなできごとや噂話などは、人の口から口へと伝えられて行った。そういうとき情報が歌の形にまとまっていれば、非常に伝達しやすい。そういう必要性がバラッドを生みだした。つまりバラッドは、もともと社会の中で実用的な機能をもっていたのである〉
朝日楼という“娼家”の“娼婦”の物語「朝日のあたる家」も、バラッドのカテゴリーに入る。
日本では、新井英一の「清河への道」も自身のルーツを辿る長い物語を歌ったバラッドだ。ほかにも豊田勇造をはじめバラッドのカテゴリーに入る作品を歌うフォークシンガーが何人かいるが、今や日本を代表するバラッド・シンガーといえば中川五郎だと思う。
バラッドには長い曲が多いが、やはり五郎ちゃんの曲はどれも長い。一曲が二〇分近くあるものがざらだ。最近の作品で僕のお気に入りは、「ピーター・ノーマンを知っているかい?」。
ピーター・ノーマンとは、六八年のメキシコシティ・オリンピックでの男子二〇〇メートルの銀メダリスト。そのとき金と銅のメダリストはアメリカの黒人で、二人は黒い手袋をはめ拳を高く揚げる「ブラックパワー・サリュート」を表彰台の上でやってのけた。それに同調する意思表示をしたオーストラリア人のピーター・ノーマンに、なぜ悲運なその後が待ち受けていたのか? 紙幅が尽きた。
この項は次回へ、ピーター・ノーマンと中川五郎の巻として。
(こむろ ひとし・シンガーソングライター、2018年6月1日号)