北朝鮮に「情報戦」で翻弄される安倍政権
佐藤甲一|2018年7月9日3:54PM
「我欲」ということばがある。『広辞苑』(第六版)を繙(ひもと)けば「他人にかまわず、自己の利のみを欲する欲望」とある。「利」とは「都合のよいこと。役に立つこと」(同「利」1項より)であり、金品だけでなく、より己が欲するものの範囲が広い。
金品の授受や不正な利益を得ていなくとも、政治権力の延命に固執するあまり公文書改竄の責任を官僚に押しつけ、森友・加計学園問題で近親者の便宜を図り、国会で不誠実な答弁を繰り返す安倍晋三首相の言動は、「我欲」に突き動かされている振る舞いそのものではないか。
心配するのは、そうした「我欲の政治」が拉致被害者の救出という人道問題に「濫用」されないかということである。
6月12日のトランプ米大統領と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の金正恩党委員長の首脳会談は、具体的成果のない「政治ショー」だった。朝鮮戦争以来、敵対国の首脳が握手を交わし、将来の平和と核廃棄に向けて合意したことの意味はある。しかし、当初喧伝された「即時非核化」からみれば大きな後退であり、その実行の困難さを浮き彫りにした。
トランプ大統領からすれば、秋の中間選挙を念頭に、自身の誕生日(6月14日)の前に、形だけでも成果を上げたいという「我欲」がもたらしたものと言えるだろう。
トランプ大統領だけではない。韓国では6月13日に統一地方選挙が実施され、南北首脳会談を二度行なった文在寅大統領が率いる与党「共に民主党」が圧勝。文大統領の融和路線が高評価、支持された。6月12日という日取りの設定そのものが、文大統領の政治基盤強化につながった結果を見れば、これも文大統領の「我欲」にかなうものだったと言えまいか。
そして2人の「我欲」につけいったのが金委員長と言える。核廃棄に向けた具体的なカードを切らないまま米国からの体制保証を勝ち取り、その具体的な結果として8月に予定されていた米韓合同軍事演習は中止となった。金委員長の高笑いが聞こえてきそうだ。
「最大限の圧力」一辺倒だった安倍政権も方針の急旋回を余儀なくされ、さらには安倍首相が「日朝首脳会談の設定を急がせる」に至った。やる以上は、9月の自民党総裁選挙に間に合わせて結果を出したいという「我欲」丸出しのあわてぶりである。
すでに8月の訪朝や9月にウラジオストクで行なわれる東方経済フォーラムの場での会談が取り沙汰されている。そうした前のめりの姿勢を見透かされて、すでに「情報戦」で北朝鮮に翻弄されている。首相側近の萩生田光一幹事長代行は13日、記者団に対し安倍首相から聞いたとして「金委員長から、拉致問題について『解決済み』という反応がなかったことは大きな前進だ」と述べ、日朝首脳会談への期待感を明らかにした。
だが、15日夜の北朝鮮のラジオ・平壌放送は拉致問題について「すでに解決された問題」と論評し日本政府を非難、安倍政権の「ぬか喜び」に冷や水を浴びせた。萩生田氏の発言は安倍首相の言葉を借りれば「伝聞の伝聞」にすぎず、誤った印象を世論に与えたとしか言いようがない。
拉致被害者の救出を、安倍政権の延命という「我欲外交」を逆手にとった金委員長に引きずり回されるような愚だけは避けなければならない。
(さとう こういち・ジャーナリスト。2018年6月22日号)