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「捨て石にされた沖縄」否定する百田尚樹氏
阿部岳|2018年7月21日1:11PM
沖縄戦を体験した90歳の女性が亡くなった。組織的戦闘が終わったとされる6月23日の「慰霊の日」直前のこと。平和学習の語り部として高校に招かれ、駐車場で急変した。戦争体験を語るにも聞くにも、残された時間は少ない。現実が胸に突き刺さる。
体験者の声が小さくなるにつれ、「沖縄戦の教訓」への攻撃は強まっている。早い時期に狙われたのが「集団自決」の史実だった。日本軍は住民を保護対象ではなく、戦闘の足手まとい、機密を敵に漏らす危険分子とみなした。手榴弾を渡すなど、住民同士の殺し合いを強制、誘導した。
2005年、慶良間諸島の元戦隊長らが大江健三郎氏と岩波書店を提訴した。書籍で戦隊長らの「命令」に触れたことが名誉毀損だと主張した。07年にはこの訴訟を根拠の一つとして、教科書検定で「軍の関与」の記述が削除された。県民は猛反発し、復帰後最大の11万6000人が県民大会に結集するなどして押し戻した。訴訟も最高裁まで争った末、元戦隊長らの敗訴が確定した。
それでも、波状攻撃は続く。今年4月、沖縄での講演で作家の百田尚樹氏はこんなことを言っている。「決して沖縄だけを犠牲にしたわけじゃない。日本全体が犠牲になった」。広島、長崎の原爆、各地の空襲被害を例に挙げた。「沖縄だけ被害者ぶるな」という論法はネットでもよく聞かれる。
多数の民間人が殺傷された悲惨は全国に共通する。違うのは、本土の空襲目標が米軍の選択だったこと。沖縄は、日本軍が本土を守る時間稼ぎの戦場として選んだ「捨て石」だった。
その否定を試みて、百田氏は「神風特攻隊、戦艦大和が沖縄防衛のために出撃した。沖縄を見捨てるなら、そんなことはしない」とも述べた。特攻の将兵も、無謀な作戦の捨て石にされた。沖縄から見ると、日本軍指導部への怒りを共有することはあっても、感謝する理由はない。
何より、沖縄戦では日本軍が住民を壕から追い出し、食糧を奪い、スパイ視して虐殺した。「軍隊は住民を守らない。軍隊自身と権力を守る」。住民の4人に1人を失うという惨劇の末に、県民は教訓を学んだ。
自衛隊は今や、その日本軍から引き継いだDNAを隠さなくなっている。「沖縄を守るために戦った第三二軍を、現在の沖縄防衛を担うわれわれが追悼する」。05年の慰霊の日。沖縄戦の牛島満司令官らの慰霊搭を前に、沖縄の陸自トップが述べた。
牛島司令官は総司令部が陥落した後も住民多数が避難している本島南部に撤退し、犠牲者を大幅に増やした。自決前には部下に徹底抗戦を命じ、降伏の機会を奪った。その人物を追慕する集団参拝を、幹部自衛官が04年から15年連続で続けている。
奄美大島、宮古島、石垣島、与那国島。各地で自衛隊基地の新設が進む。「離島防衛のため」という大義名分を真っ向から否定する「住民を守らない」という真実は不都合で、邪魔である。だから狙われる。ここが突き崩される時、南西諸島の軍事化が完成するだけでなく、日本全体が「戦争のできる国」になるだろう。
この時代に沖縄戦の教訓をどう受け継ぐか。戦争を知らない私たちの想像力が問われている。
(あべ たかし・『沖縄タイムス』記者。2018年6月29日号)