「東電」の責任を追及し続けた馬場有・浪江町長が逝去
粟野仁雄|2018年7月30日9:58AM
福島第一原発の事故で住民全員が避難した福島県浪江町の馬場有町長が6月27日、胃がんのため福島市の病院で亡くなった。享年69。今年入退院を繰り返し6月初めに辞意を表明したばかりだった。
馬場氏は、町議、県議を経て2007年12月に浪江町長に初当選したが1期目の11年3月11日、庁舎で会議中に地震が発生した。翌日朝、国は原発事故で10キロ圏内の住民の避難を発表したが町には知らされず、テレビを見て仰天した馬場氏は「東電は協定違反だ」と怒った。
仮庁舎を同県二本松市に設けて陣頭指揮を執り、東電に対しては被害自治体の長の中でも最も厳しい態度で臨んだ。県が「パニックになるから」と緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)のデータを隠した時には「殺人鬼か」と激怒した。
「どこに住んでも浪江町民」が口癖で避難先をこまめに回り、高齢の避難者たちに「申し訳ない」と涙を流した。
7月3日に南相馬市で行なわれた同町と馬場家の合同葬で、喪主の長男大輔さんは「父は皆さんの力添えで幸せでした」と挨拶した。浪江町総務課の鎌田典太朗さんは「土日も住民説明会などでほとんど休まなかった。町民には無理に帰還を求めず、いつでも帰れる環境づくりに尽力していた。これからだったのに」と惜しむ。同町は8月12日に偲ぶ会を開く。
(粟野仁雄・ジャーナリスト、2018年7月13日号)