翁長知事が辺野古承認撤回を表明
県民投票も実施へ
黒島美奈子|2018年8月20日12:17PM
沖縄県の翁長雄志知事は7月27日、県庁で臨時の記者会見をし、名護市辺野古の新基地建設について、前知事の埋め立て承認を撤回する手続きに入ると表明した。撤回を明言して1年4カ月、1期目の任期まで残り4カ月で最大行政権限の行使に踏み切った。
撤回の理由について翁長知事は、埋め立て承認の際に交わされた留意事項に反して工事が進められていることを挙げた。前知事の承認後に明らかになった、(1)新基地建設現場の大浦湾側に軟弱地盤が存在(2)新基地建設後に周辺の建物が米国防総省の高さ制限に抵触(3)稲田朋美防衛相(当時)が、新基地建設は米軍普天間飛行場の移設とは必ずしもリンクしていないと発言したこと――などを挙げ、「承認の効力を存続させることは、公益に適合し得ない」と述べた。また、県の再三にわたる工事停止を求める行政指導に応じない国の姿勢を「傍若無人」と批判した。
【撤回の妥当性、知事選で】
辺野古の新基地建設現場は、市民らの強い抗議の中、連日延べ300~400台の工事用車両が米軍キャンプ・シュワブ内に入るなど急ピッチで工事が進められている。7月19日には護岸の一部が初めてつながったことが確認され、埋め立てに向けた土砂投入が目前に迫っていることを印象付けた。翁長知事の撤回表明は、まさにぎりぎりのタイミングだった。
2013年12月、米軍普天間飛行場の県外移設を求めるという公約を反故にして、新基地建設の埋め立てを承認した仲井眞弘多前知事への、県民の怒りはすさまじかった。そのため、前知事に10万票もの差を付けて14年11月に当選した翁長知事には、任期当初から、前知事の承認を撤回するという「責任」が県民から託されていたと言える。
だが、翁長知事はこの間、撤回に慎重な姿勢をとり続けてきた。
背景には、撤回の前段階として知事が16年に挑んだ承認取り消しが、国と司法の「協力関係」によってあっけなく阻まれてしまったことがある。
取り消しに対し国は自らを「私人」と解釈して、国土交通相に取り消しの執行停止を申し立てる「茶番」をやってのけた。この手法は法の専門家らから批判を浴びたが、結果として執行停止は発令。続く法廷闘争でも、裁判長が「判決には従うのか」と国側の立場で県を問いただすなど司法の公平性がひどく疑われる中、最高裁で県の敗訴が確定した。
こうした国と司法の態度を知った翁長知事が見いだしたのが、計画の是非を問う県民投票の結果を受けた承認撤回だったと言われる。しかし実施については知事の支持組織「オール沖縄」で意見が割れ、着手が遅れた。県民有志による投票に向けた署名活動が終わったのは、ようやく今年7月23日のことだ。
県民投票への翁長知事の特別な思いは、撤回表明の会見でも表れた。会見冒頭に署名活動の成功に触れ、「活動に取り組まれた努力に心から敬意を表するとともに、政府におかれてもこれほど多くの県民が署名した重みにしっかり向き合ってもらいたい」と述べた。そんな知事の言葉からは、県民の意思に寄り添う形で基地問題の解決を図ろうとする姿勢がかいま見える。
知事が承認撤回を表明した27日、シュワブゲート前で新基地建設に抗議する市民からは歓声が上がった。翌28日付『沖縄タイムス』『琉球新報』によると、この知事の判断は、沖縄県内ではおおむね歓迎された。
今後、国が撤回の効力停止を求め、裁判に訴えるのは確実視されている。撤回が妥当かどうかが大きな争点になることは間違いない。撤回の妥当性は、翁長知事が今回提示した留意事項違反のほかに、県民世論でも証明する必要がある。11月18日投開票の県知事選や県民投票の結果は、その意味でも節目となる。
(黒島美奈子・『沖縄タイムス』論説委員、2018年8月3日号)
【編注】沖縄県の翁長雄志知事は8月8日午後6時43分、入院先の浦添総合病院で死去されました。67歳でした。