【憲法を求める人々】佐藤梓
佐高信|2018年9月3日7:15PM
本誌の2016年2月19日号に、101歳のむのたけじと佐藤の「70歳差対談」が載っている。
記者になりたいと思っていた学生時代に、むのの本と出会って衝撃を受けたという佐藤は、NHKの記者を経て八王子市議会議員となった2015年に安保法制という名の戦争法と直面する。自民党会派から賛成の意見書が出され、彼女は反対の立場から論拠を並べて質問した。
その後、あなた方の先輩にはこういう人がいたんですよ、と伝えたいと思い、斎藤隆夫の帝国議会での反軍演説を引いた。
「ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくのごとき雲を掴むような文字を並べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことがありましたならば……」(1940年2月2日)
この後はヤジと怒号にかき消されたが、斎藤は怯まなかった。しかし、これで除名される。
さすがに、75年後の八王子市議会では、その瞬間、自民党席からのヤジがやんだという。
むのは佐藤との対談で、斎藤の反軍演説を記者席から見ていたが、「昨日のことのように思い出す」と語っている。
当時、むののような若い記者が喜んで接触した国会議員は2人だけだった。斎藤隆夫と、部落解放運動の親分の松本治一郎である。
「政治にたずさわる人間が、人間と人間を断絶させず、つなげる役割を果たすにはどんなことを心がけるべきでしょうか」
と問いかける佐藤に、むのは、
「他人を理解する名人であれ」
と答える。
その重い言葉に触発されて、佐藤は高校生のころの忘れられない思い出を告白する。
ある日、仲のよかった友人に、帰宅してから読んでくれと手紙を渡された。しかし、待ちきれなくて、田んぼの隅に自転車を停めて読み始めた。
すると、梓ちゃんのことは好きだったけど、以下の点が嫌いだと幾つも列挙してある。
佐藤は泣きながら家に帰って、手紙をぐしゃぐしゃに丸めて母親に泣きついた。
「ひどいわねぇ。もう仲よくしなくていいじゃない」と同情してくれるかと思ったら、母親はぐしゃぐしゃの手紙を開いて読み、
「あなたは返事を書きなさい」
と言った。
本当に嫌いだったらそのまま無視しておくこともできたはずなのに、わざわざ手紙にして渡してくれたのよ、と母は続ける。
絶対に嫌だと思ったが、泣きながら佐藤は返事を書いた。
「あなたが私のことを嫌いだと思ったのは、もしかしたらあの日私がこう言ったからかもしれない。違っていたらごめんなさい。ただ私だってこんな手紙をもらったら哀しいし辛い。でも、正直に思いをぶつけてくれたあなたの友情には感謝したい」
こんな文面の返事を書いて友情は続いた。母のおかげで大事な友だちを失わずにすんだと回想しながら、彼女は、「嫌い」という感情は、もしかしたら「はじまり」かもしれない、と述懐している。
戦争に関わって心に残る映画は神山征二郎監督の『月光の夏』と『ひめゆりの塔』と語る佐藤は、いま、「安保法制違憲訴訟・女の会」の原告の1人として、意見陳述の原稿を書いている。
(さたか まこと・『週刊金曜日』編集委員、2018年7月20日号。画/いわほり けん)