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沖縄知事選、佐喜眞淳氏とヘイト団体の関係
西山隆則|2018年9月12日5:36PM
日本会議メンバー
まず、思想的な偏りが著しい。本人も議会で認めたとおり、あの日本最大の右翼組織「日本会議」のメンバーなのだ。12年2月の宜野湾市長選に立候補した時点で沖縄県議としては唯一、同会の公式サイトに紹介されていたというから筋金入りの活動家だ。
市長に当選するや、市役所の隣にある宜野湾市民会館で実質的に日本会議沖縄本部が主催する「沖縄祖国復帰記念大会」が毎年開かれるようになる。佐喜眞氏も市長として参加し、同年6月の市議会ではそれを問題視する質問も出た。案の定、2年後の14年の大会では、“わかめ保育園事件”として後世に語り継がれるとんでもない光景が出現することになる。
地元保育園の園児が日の丸のワッペンを付けた体操着姿で駆り出され、森友学園の幼稚園児さながらに「教育勅語」(現代語訳)を一斉暗唱させられたのだ。佐喜眞氏は市長の肩書でこの大会の閉会の辞を述べ、「日本人として、日本人として、誇りを持つ。まさにその一言に尽きると思います。この大会を機に、日本人としての誇りを持たなければならない」などと熱弁をふるったという。
もちろん、佐喜眞氏が個人としてどんな思想を持とうが自由である。だが、沖縄の政治家として教育勅語を礼賛することがどういうことか、少しは頭を使って考えるべきだ。
教育勅語は言うまでもなく天皇を“現人神”とした大日本帝国憲法のもと、臣民(家来である国民)に対してくだされた“お言葉”で、戦前の道徳の根幹とされていた。親孝行、夫婦相和、学業修業など12の“徳目”が説かれているが、もっとも重要とされているのが、
〈一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ〉(万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ)
というくだりだ。
要は、「戦争になったら天皇の国のために命を捧げよ(死ね)」と言っているのだ。しかもこれは天皇の本物の“お言葉”ではなく、戦前の政治権力者が天皇の名前を騙って創作・起案したものである。
こうした戦前の政治権力者たちがつくりあげた“国体”の最大の失政が、太平洋戦争だ。この戦争で沖縄は国体を守るための捨て石とされ、多大な犠牲を強いられた。県民の実に4人にひとりが亡くなったのだ。佐喜眞氏は、再びそうした時代に戻ることを望んでいるのだろうか。
佐喜眞氏にどれだけの自覚があるかはわからないが、少なくとも彼が所属する組織は望んでいる。日本会議の究極の目的は、戦前の国体のような“日本を取り戻す”ことだからだ。このことを沖縄の有権者はまずしっかり心に刻んでほしい。それだけではない。