“自由主義”へのバックラッシュ
佐々木実|2018年9月16日7:29PM
第2次世界大戦後の「リベラルな国際秩序」が揺らいでいる。これから世界はどこに向かうのか。いささか大上段に振りかぶった質問に、フランシス・フクヤマが答えている。
〈私は(1992年の著書「歴史の終わり」で)「近代化した社会は自由民主主義の方向に向かう」と指摘した。自由民主主義に取って代わる体制はなく、共産主義の復活もないと考えている。だが、この10年、民主主義の後退が起きている。欧米諸国においてポピュリスト(大衆迎合主義者)の愛国主義的な動きが表面化し、トランプ氏の「米国第一主義」は国際社会における中露の発言力を強める結果を招いている。民主主義が発展した国(米国)から、民主主義を後退させるような挑戦を受けることは予想していなかった。〉(『毎日新聞』8月1日付)
フランシス・フクヤマは1952年生まれの日系アメリカ人である。大阪商科大学(大阪市立大学の前身)の初代学長を祖父にもつフクヤマは、1989年の夏に発表した論文「歴史の終わり?」で注目を集めた。1992年に『歴史の終わり』(三笠書房)を上梓し、「ポスト冷戦」のイデオローグとしての地位を確立した。
フクヤマが導いたのは、「歴史は自由主義の勝利をもって終焉した」というシンプルな結論だった。かつてのような全体主義は存在しえないし、共産主義は崩壊しつつある。もはや普遍的なイデオロギーが自由主義をおびやかす事態は起こりえない。歴史とはイデオロギー闘争の歴史であるとしたヘーゲルの考えに基づいて、「歴史の終わり」を宣言したわけである。
フクヤマ論文が発表された直後に東欧諸国が雪崩をうって非共産主義化、その後、東側の盟主だったソ連が崩壊したため、「歴史の終わり」説は信憑性をもった。フクヤマが米国の国務省スタッフだったこともあり、米国の勝利宣言とも受けとられた。
冒頭で紹介した最近のインタビューでフクヤマは、冷戦の勝利者であり民主主義を先導してきた米国が、まさか民主主義を後退させる役割を演じるとは予想できなかったと反省している。トランプ大統領の登場に至る「この10年」とは、リーマン・ショック後の世界を指す。フクヤマの見込み違いは、自由市場システムをめぐる考察不足に起因しているだろう。
フクヤマの論文「歴史の終わり?」が発表されたのは平成元年だった。フクヤマ説に従えば、平成はまるごと「歴史後」の時代だ。この間、日本の政治は規制緩和に代表される、市場主義に偏った構造改革にいそしんできた。政治的イデオロギーの闘争に基づく軍事的な対立が解消されたあと、残るは自由市場での競争のみになるという、フクヤマの見立てとも響き合う歩みだったともいえる。
ふりかえれば、『歴史の終わり』は時代を分析した書というより、この作品こそ時代の産物だった。もっとも、いま読み返してもよくできたテキストである。四半世紀前の話題の書を「間違いさがし」の視点で熟読吟味すれば、“自由主義”へのバックラッシュが起きた事情を知るヒントが得られるかもしれない。
(ささき みのる・ジャーナリスト。2018年8月24日号)