【タグ】佐藤義亮|佐藤隆信|新潮45|新潮社|週刊新潮|齋藤十一
『新潮45』休刊で見えた「確信犯的」編集方針の行き詰まり
岩本太郎|2018年10月16日10:13AM
月刊誌『新潮45』が9月18日に発売された10月号を最後に休刊(という言葉は出版業界では実質的に廃刊を意味する)に追い込まれた一件は、新潮社という独特な社風で知られる出版社の曲がり角であると同時に、出版界全体の現状を物語る出来事でもある。
そもそも新潮社という会社は、かつては記事をめぐりいくら批判を浴びようがびくともしない確信犯的な編集方針で知られていた。1997年7月、兵庫県神戸市内で児童を殺害したとされる中学生の顔写真を同社の週刊誌『FOCUS』(その後2001年に休刊)と『週刊新潮』が誌面掲載した際には両誌の当該号が書店で軒並み発売中止とされ、同社で著作を発行していた作家の灰谷健次郎さんが直後に版権引き上げを宣言した件などから大きな話題となったが、この時ですら新潮社からは謝罪などの動きはおろか、両誌の存廃も含めてこの件が社内で問題になることは一切なかったという。
ところが今回は『新潮45』当該号の発売直後からツイッターアカウント「新潮社出版部文芸」(複数の社員が執筆していると言われる)が同号の内容や会社の姿勢への批判的なツイートを連発(いったんは削除されたが後に再開)。発売3日後の21日には同社の佐藤隆信社長自らが同号掲載の特別企画「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」について「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました」と異例の声明を出してまで批判。さらにその4日後の25日には「会社として十分な編集体制を整備しないまま『新潮45』の刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて」(同社公式サイト「休刊のお知らせ」より)休刊を決断したことが発表された。
折しも同日夜からは東京・神楽坂の新潮社本社前で100人ほどの人々が抗議行動を展開しており、休刊の報に喜びの声が上がる一方、今回の10月号特別企画や、その前段となった8月号の杉田水脈氏による論文への謝罪がないことなどへの批判の声も聞かれた。
【カリスマ重役の退場による影響】
佐藤隆信社長は創業者・佐藤義亮の曽孫に当たる四代目だが、かつての新潮社では「陰の天皇」と呼ばれた重役・齋藤十一氏(00年に死去)が文芸部門から週刊誌の現場まで全般に目を光らせ、「女子ども(向けの商品)には手を出すな」との不文律が貫かれていた。
それが齋藤氏が高齢により次第に退いていったのと並行して、一時在籍していた電通から入社した佐藤隆信氏が女性誌や漫画誌の創刊に踏み切るなど多角化を推進。
ところが近年の出版不況下では看板雑誌の『週刊新潮』すら苦戦しているほか、『FOCUS』はすでに01年に休刊。バブル期に創刊した『03』など広告収入に依存した雑誌群も姿を消して久しい。それでも経営面でもう一方の柱である文芸などの書籍部門が元気なうちはよかったが、こちらも近年はネットの普及により苦戦続きであり、特に主力収益源の新潮文庫の売れ行き不振は同社の経営に深刻な影響を与えているのでは、と出版業界内では囁かれている。
佐藤社長は3年前、図書館関係者らの集会で「本が売れないのは図書館での無料貸し出しのせい」と主張したと取られかねない発言をして物議を醸したが、それだけ家業を継いだ経営者としての危機感には切実なものがあるようだ。
そうした中、不振の雑誌部門の中でもとりわけ赤字続きでお荷物状態だった『新潮45』が追い詰められ、カリスマ役員の目も届かなくなった環境下で、おそらく今はこれが流行りとばかりに「ネトウヨ雑誌」まがいの路線へと暴走した結果が今回の事態を招いたのではないかとも思える。とはいえ『新潮45』は創刊以来優れたノンフィクション作品を生んできた歴史もあり、今では数少なくなった大手出版社発行の月刊総合誌がまた一つ消えることを惜しむ筆者も少なくないようだ。今回の休刊騒動は新潮社という老舗出版社の歴史的転換点として後の歴史に刻まれることになるのかもしれない。
(岩本太郎・編集部、2018年10月5日号)