「ジャカルタ事件」で無実主張の城崎努氏の控訴を棄却
東京高裁
浅野健一|2018年10月19日11:32AM
1986年にジャカルタの日本大使館に手製金属弾が発射された事件で殺人未遂などの罪に問われた城崎勉さんの控訴審判決が9月26日、東京高裁(栃木力裁判長)であり、東京地裁(辻川靖夫裁判長)判決(懲役12年)を支持し、城崎さんの控訴を棄却した。
城崎さんは最高裁へ上告するかを期限の10月11日までに決める。
城崎さんは「事件当時レバノンに在住していた」として冤罪を主張。
弁護団は、原審で法廷通訳人を務めた森元繁・元東京外国語大学講師は、インドネシア語の冷蔵庫、ハンサム、粘着テープなどの平易な言葉を訳せず、約200カ所の誤訳があり、十分な反対尋問もできなかったと指摘。また、一審判決(2016年11月24日)後、もう一人の通訳人の深尾康夫・亜細亜大学講師は、検察官の取り調べに通訳人として立ち会っていたことが分かった。弁護団は7月9日、森、深尾両氏は刑事訴訟法175条の通訳人に該当しない不適格者だとして、インドネシア人証人4人、記者席から森氏の誤訳を裁判員裁判の休廷中に森氏本人に指摘した筆者、森氏の誤訳を職権で鑑定した辻川裁判長ら計8人の証人調べを求める「事実取調請求書」を提出した。刑事裁判で、裁判官を証人申請するのは異例だ。
弁護団は7月18日の初公判で、「原審は、金属弾発射場所のホテルの部屋に残されていた缶と電灯スタンドの支柱から採取したとされる指紋2点とホテル従業員らの証言だけを根拠に有罪にした。指紋の採取過程は不自然で、誤訳による誤判だ」と意見陳述した。しかし、裁判長は弁護側の要求を棄却し、「即日結審」を宣告していた。
栃木裁判長は判決で、森氏の誤訳について、恣意的に問題にならない誤訳の事例を幾つか挙げ、「判決に影響を及ぼすような決定的な誤訳は存在しない」と判示した。
判決は「実行犯でないとしても事件を共謀し、重要な役割を果たしたものと認められるから、共同正犯に当たる」と判断した。金属弾の発射の結果は未遂で、負傷者も出ていないのだから、想定し得る共犯者中の最も軽い刑を科すべきとする弁護側の主張については、日本大使館員2人(警察庁から出向していた一等書記官ら)の「もしかしたら死んだかも分からなかった」という証言を重視。「実行犯であると認めるには足らないものの、犯行計画を知って共謀し、犯行に適した部屋を当日まで確保するという重要な役割を果たした」と判示した。
【異例の通訳鑑定も】
森氏の誤訳は、インドネシア語を理解できる私が法廷にいたことで問題化し、異例の通訳鑑定が行なわれた。単純な誤訳だけでなく、被告人に有利な証言を意図的に訳さないなど悪質。深尾氏は検察側に有利な通訳を繰り返していた。
森氏は、一審の第5回公判で証言したジャカルタ警視庁鑑識課員の「写真担当のエフェンディが、私が指紋を採った時や台紙に転写する際に接写撮影もした」という証言部分を訳さなかった。一審判決は「指紋採取の状況や指紋を接写した写真を撮影しているところを見たとは証言していない」と誤訳を鵜呑みにして認定している。
森氏の誤訳問題は16年10月各紙で大きく報道された。尾嵜裕弁護団長は「書面でのやりとりだけで棄却になったのは残念だ。日本弁護士連合会は13年に法廷通訳人の資格制度などの立法化をという意見書を最高裁長官らに提出している。この裁判を検証し、法整備をしてほしい」と話した。
城崎さんは9月28日、東京拘置所で「袴田事件再審決定の差し戻しなど裁判所の反動化を見ていると、高裁にはまったく期待できないと思っていた。私はジャカルタには行ったことがないのに、車を3台使い、金属弾の発射台を地元の大工に頼んだことになっている。インドネシア語がまったくできない私がどうやって大工に注文できるのか。私を有罪と最初に決めて、空想の中で書いた判決だ」と話した。
城崎さんは、日本大使館事件とほぼ同時刻に起きた米大使館事件で、約19年米国で服役後、日本に強制送還された。同じ事件で12年間も拘束していいのだろうか。
(浅野健一・ジャーナリスト、2018年10月5日号)