究極のブラックボックス
雨宮処凛|2018年11月22日5:34PM
7月、オウム真理教の麻原彰晃をはじめ元教団幹部13人への死刑が執行された。
異例の大量執行である。
麻原執行の約1カ月前、私は森達也氏らと「オウム事件真相究明の会」を立ち上げた。昏睡の一歩手前の昏迷状態と言われる麻原に適切な治療をし、事件の真相を語らせようという趣旨の会である。が、死刑執行によってその目的は果たせなくなった。そうして8月24日、「死刑執行に抗議し、オウム事件についてもう一度考える」集会を最後にして、会は解散となった。
「真相究明の会」を作った当初は、「このまま死刑が執行されて終わり、でいいのか」という焦りがあった。戦後最大の刑事事件の首謀者とされながら、三審まで尽くされなかった麻原裁判。また、麻原は詐病と言われながらも、多くの精神科医が深刻な意識障害であることを指摘している。そもそも、訴訟能力があったのか。刑事訴訟法では、心神喪失状態の者への死刑執行は停止すると定められている。
しかし、麻原の死刑は執行された。10年以上、外部の者と接触せず、どのような状態だったのか誰もわからないまま処刑され、遺体は焼かれた。その上、処刑されてすぐに、麻原が「遺言」を残したと報じられた。自らの遺体の引き渡し先として四女を指名したというのだ。
しかし、重篤な意識障害があったと言われる麻原が、そんなことをできたとはとても思えない。しかも「指定」した四女は、麻原との縁を切るために推定相続人の廃除を申し立てた人物だ。
が、このようなことを、私たちには確かめる術はない。本当に麻原は「四女」と口にしたのか。誘導するような聞き方ではなかったのか。中には四女の名前を指差したという報道があるものの、目が見えない麻原になぜそれが可能だったのか。確かめたいことは山ほどあるものの、証拠となる録音も映像もない。
思えば、「真相究明の会」を立ち上げてから、一事が万事、この調子だった。死刑囚である麻原は塀の中。家族が面会に行っても「本人(麻原)の意思」として拘置所から断られる。執行まで、「生死すらわからない」状態だった。そんな死刑囚の「権利」を守るのは不可能に近い。病気の治療を、と訴えたところで法務省側が「詐病だ」と言えば終わり。「本人が会いたくないと言っている」と言えば、完全に孤立させることができる。究極のブラックボックスを前に、ただオロオロしていた。そして死刑は執行され、真相は永遠に闇の中となった。
これらのことを通して、私には新たな課題が生まれた。死刑囚が外部と交流する権利の確立、そして塀の中をブラックボックスにしないこと。このふたつに、取り組んでいくことになりそうだ。(一部敬称略)
(あまみや かりん・『週刊金曜日』編集委員。2018年9月7日号)