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香港開戦記念日に「日本人慰霊祭」 
「英霊」賛美だと反発も

和仁廉夫|2018年12月26日10:42AM

左は香港墳場萬霊塔。右は和田充広在香港日本国大使兼総領事。(撮影/和仁廉夫)

12月8日、香港●〈足偏に包〉馬地にある香港セメタリー35区萬霊塔前で、香港日本人倶楽部主催の日本人墓地慰霊祭が行なわれた。和田充広在香港日本国大使兼総領事が式辞を述べたほか、日系企業、日本人学校の教師児童生徒らが参列して献花した。慰霊祭は毎年行なわれてきたが、香港攻略戦が始まった12月8日を選んだのは初めて。

香港セメタリーは香港開港以来の公営墓地。墓の多くは英国など非中国系の外国人のもので「紅毛墓地」の異名もある。記録によると明治初期から敗戦までにこの地で客死した465柱の日本人がここに眠るが、アジア太平洋戦争の香港攻略戦の戦死者は葬られていない。戦争中、香港を統治した香港占領地総督部(磯谷廉介総督)は灣仔峡のキャメロン山に忠霊塔を建設したが、完成を待たずして敗戦。施政権を回復した英国により1947年に爆破破壊された。

式典後、香港日本人倶楽部に会場を移して懇談会が行なわれた。筆者が岩見武夫墓地管理委員長に「なぜこの日を選んだのですか?」と質問したところ、居合わせた人々の表情が凍り付いた。この日が香港攻略戦の始まった日であることを、みんな知っていた。

ハワイ真珠湾奇襲、マレー半島コタバル上陸と時を同じくして、日本軍は深●〈土偏に川〉河を越えて香港で英連邦軍と交戦。啓德空港を空爆した。香港が陥落した12月25日を当地では「黒色聖誕節」といい、岩見さんによると、(慰霊祭は)「これまで毎年春に行なわれ、春と秋の2回行なわれた時期もあった。昨年は11月にしたが、今年は総領事の異動もあり、忙しい年末を避けてこの日になった」という。

しかし今年の式典への出席要請は9月18日(柳条湖事件の日)付で松田邦紀在香港総領事=当時=と桜井知治香港日本人商工会議所会頭に出されていた。これも偶然というのだろうか?

【過去にも反発を招いた例が】

岩見さんは懇談会で、一般には戦死者を称える意味で使われる「英霊」の語を連発されており、ここにも危うさを感じた。実際、海外での日本人のふるまいが戦争の記憶を呼び覚まし、現地社会の反発を招いた前例もある。2003年9月18日の直前、広東省珠海市で起きた日本の建設会社による集団買春事件がそれだ。

慰安旅行に来た建設会社一行の求めに応じて300人規模の集団買春を斡旋したホテル関係者や夜総会幹部らは事件後逮捕され、裁判所は女性らを重刑に処した。

買春を組織した日本人3人も国際刑事警察機構に手配された。ギネスものの集団買春の舞台となったホテルはその後名称を変えた。

また、このような“偶然”ではなく、政治的意図をもって臨んだ事例もある。戦後70年の15年6月、安倍政権のもとで改憲を推動する日本会議地方議員連盟の香港マカオ研修視察団(団長 松田良昭神奈川県会議員)の一行は、中国国民党が主宰した広州法廷で死刑判決を受け、1947年に刑死した澤栄作陸軍大佐と部下山口久美少尉らを称える慰霊祭をマカオで行なった。(藤田達男ブログ「賭人がゆく」2016年1月13日付)。

戦時下、中立を貫いたポルトガル統治下のマカオで、その主権を侵害して抗日人物を逮捕しては拷問、殺害を繰り返した澤栄作らを「英霊」にまつりあげた歴史改竄は到底許されるものではない。

香港日本人墓地慰霊祭は、香港で客死した軍人・船員・商人・「からゆきさん」らを追悼するもので、そもそも戦争とは関係ない。

岩見さんらは、戦後訪れる人もなく荒れ果てた日本人墓地を修復整備し、慰霊祭を続けてきた功労者だ。香港日本人倶楽部は外務省から日本人墓地の管理を委託され、日本総領事館からは補助金も拠出されてきた。

その思いを広く共有するためにも戦争を想起させるイメージを重ねることは厳に慎むべきだろう。

(和仁廉夫・ジャーナリスト、2018年12月14日号)

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