マクロン仏大統領、
自国利益優先を批判
佐々木実|2018年12月29日7:00AM
第一次世界大戦終結から100年を迎えた11月11日、パリ凱旋門に60カ国あまりの首脳が集まり記念式典が開かれた。フランスのマクロン大統領はトランプ大統領も出席する式典で、「自国の利益が第一で、他国は構わないというナショナリズムに陥るのは背信行為だ。いま一度、平和を最優先にすると誓おう」と呼びかけた。
マクロンは以前より「まるで1930年代のようだ」との表現で、第二次世界大戦へとなだれこんだ国際情勢と現在を重ね合わせていた。極右勢力が台頭する欧州だけでなく、「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプが念頭にあることはいうまでもない。
かつて1930年代の米国で、自由主義の危機を論じた哲学者がいた。プラグマティズムで知られるジョン・デューイ(1859~1952年)である。
ルーズベルト大統領が大恐慌から抜け出すためにニューディールを実施していた時期、第二次世界大戦勃発の4年前に『自由主義と社会行動』は出版された。ヒトラー率いるドイツ、ムッソリーニ率いるイタリア、ロシア革命で誕生したソビエト社会主義共和国連邦を念頭に、デューイは自由主義の危機を説いた。
《現在、自由主義者の熱意を挫き、その努力を麻痺させるものは、目的としての自由と発展とは、手段としての組織化された社会的努力の行使を排除するという概念である。初期自由主義は、個人の個々の、競争的な経済活動を、目的としての社会的福祉への手段と考えていた。今や、われわれはこのパースペクティブを逆倒し、社会的組織体が目的としての個人の自由な発展のためであると考えなければならない。》
米国発の世界恐慌が起きると、経済的危機を背景に、国難を全体主義で乗り切ろうとする気運が広がった。「個人の自由」を重んじる自由主義者は無力だった。個人の自由を実現するためには、色あせた自由主義を捨て去り、協働して「社会行動」を起こさなければならない。そうデューイは訴えた。
歩調をあわせるように、『雇用、利子および貨幣の一般理論』(1936年)を世に問うたのがケインズだ。同書を著す前に上梓した『自由放任の終焉』は、自由主義の刷新を求めるデューイの主張と酷似している。ニューディールにも影響を与えたデューイ、ケインズの思想は、第二次世界大戦後、アメリカ・リベラリズムの礎石となる。
もちろん、1930年代と現在は状況が異なる。だが、荒々しく躍動する資本主義(現在では「グローバル化」)に対抗して防御的、不可避的な集団化が生じる際、「自由主義」を結集軸に掲げるなら、直面する困難の内容に即して自由の定義を刷新しなければならない。
デューイはプラグマティストとして警告していた。
《自由主義者が弱いのは、行動に対する組織化において弱いのであり、この組織化なくしては、民主主義的理想も結局のところ空手形に終る危険がある。元来、民主主義は戦闘的な信念であった。》《問題は議論によっては解答されえない。実験的方法は実験を意味し、問題は試みによって、組織化された努力によってのみ解決される。》
(ささき みのる・ジャーナリスト。2018年8月24日号、一部敬称略)