30年前の代替わり──天皇報道と記者たち
山口正紀|2019年1月10日6:43PM
記者たちはどう動いたか
以上検討してきたようなマス・ディア内部のシステムと論理に基づいて展開された天皇Xデー報道に、現場の記者たちは実際にどのような意識でたずさわったのだろうか。
これまでに出版された記録や私の知る範囲の記者たちの言動を総合すると、記者たちはおおよそつぎのような層に分けられると思う。(1)天皇制に賛成し、積極的に天皇賛美記事を書いた記者たち(2)天皇制への立場はニュートラルだが、とにかくXデーは「歴史の転換」であるとして、指示された部門の取材に従事した記者たち(3)翼賛報道に反対の気持ちをもちながらも、しかたのないこととして命ぜられた仕事をしぶしぶこなした記者たち(4)翼賛報道にできる限りタッチしないという形で抵抗した記者たち(5)翼賛報道に対して抗議し、賛美一色の紙面を変えるために、積極的にさまざまな市民の声を取材し、原稿を書いた記者たち――。
この分類が割合としてはどうだったのかはアンケート調査でもしない限りわからないが、紙面や放送の実際をみれば、(5)がごく少数だったことだけは、たしかだろう。また私の知る範囲では、(1)(4)も少数派で、(2)(3)のどちらかが大多数を占めたのではないかと思う。
このうち(2)の意識がどんなものだったのかを知るうえで非常に参考になるのが、読売新聞の張り番記者たちの体験記をまとめた前掲『天皇の門番』である。このブックレットは、記者の実名による手記という性格(「書いてはならないこと」の制約)から、書かれたことを一〇〇パーセント記者たちの本音と受けとることはできない(実際、一連の天皇報道への批判的視点がまったくなく、もしこれが本音だったとすればほとんど絶望的になるほどだ)が、それでも、張り番記者の実態、意識はよく伝わってくる。少し引用してみよう。
「張り番記者は変なものだと思った。自分の働いている間は何事もなく過ぎ去ってほしいと思う反面、記者として自分の目で歴史が動く瞬間を見たいと思う気持ちも強かった」(三三歳、男性記者)
「一週間の張り番生活は、陛下の容体急変もなく単調だったと言えるかもしれない。しかし高木侍医長の通過を報告する際のゾクゾクする快感。時代の転換期の真っただ中で、誰よりも早くその変化を知ることができる場所に、今、自分がいるという満足感は大きかった」(二五歳、男性記者)
「生死の境で病気と闘われている陛下と同じ時間をこうして刻んでいるのかと考えると妙な商売をしているもんだという気になってくる。鼻水をすすり上げながら、人間の生命について考えた」(三一歳、男性記者)
「車に乗った高木侍医長が乾門から出てきたときには、『テレビで見た光景そのまま!』。何ともミーハーなことであるが、それまでテレビや新聞を通して見ていた場面に自分が立ち会って、じかにこの目で見ていることに思わず興奮、やはり『記者稼業はすごい』と思った」(二六歳、女性記者)
以上の引用文は手記の中では比較的“まじめ”なもので、全体としては、張り番記者の泣き笑い奮戦記といった軽いタッチのものが多いが、それらも含めて、このブックレットに書いた記者たちの共通した張り番仕事に対する価値観は「歴史の転換に立ち会っている」という意識のように思われる。天皇の生物的な死を「歴史の転換」ととらえることが、まったく見当はずれの錯覚であることはすでに指摘したが、それがマスメディア幹部の「総動員体制の論理」にとどまらず、少なからぬ記者たちにも共有されていたことは注目に値する。けっして右翼でも天皇主義者でもない記者たちが、敬語報道に違和感をもたないまま、目の前に生起する「事実」を「情報」として無批判にリポートし、それだけで「時代を記録した」と考えてしまう。こうした記者意識は今回の天皇Xデー報道、さらにはジャーナリズム全般の状況を考えるうえで、見逃すことのできない大きな問題を残したと思う。
(4)(5)については、これまで参照してきた『マスコミ市民』特集号や三一新書『天皇とマスコミ報道』の中にかなり多くの事例が報告されているが、ここでは紙数の関係でくわしく紹介する余裕はない。犯罪的天皇報道と闘った記者たちの戦いは、結果的には圧倒的「崩御」報道の洪水に呑み込まれてしまったかにみえるが、それでも、マスメディアの内部、とりわけ「しかたがない」と天皇報道にしぶしぶ加わることを余儀なくされた記者たちに対して、少なからぬ影響を与え、今後の天皇報道にも歯止めをかける役割を果たしたと思う。
ここでは、そうした記者たちの運動を代表するものとして「広島ジャーナリズム懇話会」が一月二七日に発行した『広島マスコミ通信』を紹介しておきたい。同通信の「発刊の辞」は〈昭和天皇が死去した日、日本の多くのマスコミも死んだ。侵略の先兵となった教訓を生かすことなく、批判精神を忘れ、声なき声を聞く耳を失った。私たち広島在住のマスコミ人有志はこの閉塞状況を打ち破り、健全なジャーナリズム精神を再生させるため『広島マスコミ通信』を発行していくことを決めた〉と述べている。その第一号の「天皇死去特集号」は、いわば記者たちが自分の所属するメディアでは書けなかった(掲載されなかった)天皇死去報道の本来のあり方を実際に示したものである。一面トップの見出しは「天皇裕仁氏死去 戦争責任残したまま 溢れる『自粛』 蝕れる民主主義」というもので、アジア侵略や沖縄戦、原爆投下についての天皇の責任を明確に指摘するとともに、「天皇制の危険 批判精神への脅迫」と題した福田勧一明治学院大教授の論文や沖縄・読谷村の知花昌一さんらの談話を掲載。二面では「ヒロシマと天皇 失われた終戦決断のチャンス」「『やむを得ない』のか 被爆者として問う」「極秘指令 皇統温存計画」などの記事と在日朝鮮人、被差別部落出身者たちの「心に刻まれた天皇体験」などの手記。三面には、「アジア・天皇制・日本人 独善的日本社会と天皇制」と題したアジア留学生緊急座談会など。四面には「Xデー状況にNO」という市民集会や広島大で行われた「天皇制の根拠を問う 特別授業」、さらに「新天皇下の天皇制」「始まった天皇神格化の回路」などの記事が掲載されている。
この四頁の「通信」にはわが国のマスメディアが失ったジャーナリスト精神がしっかりと息づいている。マスメディアが何十頁も費しながら、ついに避け通した“市民にとって必要な天皇報道”が、「マスコミ現場の少数者の心意気」(同通信・編集後記)によって、辛うじて活字になったこと、それもまた、『天皇の門番』に代表される記者意識とともに、今回の天皇Xデー報道にかかわった記者の一つの姿として記憶にとどめられるべきであろう。