経産省前「テント村の村長」淵上太郎さん逝去
「原発ゼロ決して諦めない」
大賀英二|2019年4月12日6:16PM
「テント村の村長」と慕われた淵上太郎さんが3月20日早朝、自宅で76歳の生涯を終えた。同月10日の東電前集会には「再稼働反対、脱原発、原発ゼロの一点でよい。決して諦めることはない」と病床からメッセージを送っている。その通夜と告別式には多くの弔辞が述べられ、弔電も多数届いた。
2011年、東日本全域に未曽有の被害をもたらした3・11原発事故、それから半年後の9月11日の経産省抗議・包囲行動の終了直後、経産省脇の空き地にテントが建った。原発事故で被災した福島の女たちがこのテントを拠点に関連省庁への抗議行動を何日も繰り広げた。淵上さんは当初数週間で排除されるだろうと語ったが、初めて参加した私にも「テント村の村長」として脱原発への思いを熱く語ってくれた。12年末に政権が自民党に移るや、翌年春、国は彼と正清太一さんをともにテント設置の「当事者」とする「テント撤去」裁判を提起した。裁判の冒頭で、淵上さんは「原発事故が起きなければテントは存在しなかった」と述べ、テント運動への参加者だけでなく原発事故被害者のすべてが当事者であるとさえ主張した。
16年、最高裁はテント設置の正当性を判断しないまま被告2人への「損害賠償」とテント強制撤去を決定し、8月にテントを強制撤去した。翌年9月の経産省包囲行動でも、警察は歩道を歩いていた淵上さんを「東京都公安条例」違反で逮捕・勾留したが、今も経産省前で連日座り込み抗議は続いている。
淵上さんは満州に生まれ、戦後引き揚げてきた日本で波乱万丈の闘いを続けた。煙草と酒を好んだ彼は、昨年7月に第4ステージのがんを告知され、1カ月半の抗がん剤治療を試み、他のがん治療はせずに自宅での闘病生活を続けてきた。3・11以降の淵上さんの脱原発の思いを綴った遺稿「原子力ムラと闘う方法」(仮題)は、彼のタンポポの観察記録「関東タンポポ戦争研究序説」と併せて、今春出版が予定されている。
(大賀英二・経産省前テントひろば、2019年3月29日号)