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『資本主義と闘った男』宇沢弘文
佐々木実|2019年5月4日7:00AM
宇沢は1964年、35歳のときにシカゴ大学の教授に就任した。1968年4月に東京大学に移ったものの、1970年代はじめまでシカゴ大学教授を兼任していた。新自由主義の総本山といわれたシカゴ大学経済学部で、宇沢とフリードマンは同僚だったのである。ふたりは友人だったが、互いが誰より手強い論敵でもあった。
ベトナム反戦運動に関わっていた宇沢は、米国経済学界での評価が著しく高まっていたとき、突然日本に帰国して米国の経済学者たちを驚かせた。多くの宇沢の友人たちと同様、フリードマンも帰国を思いとどまらせようとしたひとりだった。
フリードマンは宇沢が拠点を東京に移すと、フリードマンに心酔していた日本人に依頼して、宇沢が日本語で著した論文や記事を英語に訳させ、丹念にチェックしていた。マネタリズムをテコに新自由主義を布教する際、手強い敵になりうると警戒していたのである。
新自由主義が時代を牽引する思潮となったわけだから、フリードマンが勝者、宇沢は敗者になったといえる。しかしながら、新自由主義思想がもはや色あせ、時代遅れとなりつつあるいま、フリードマンが恐れた宇沢の経済学、あるいは、宇沢の思想が理解される状況がようやく生まれている。
手前味噌になるけれども、私が何年もかけて取り組んだテーマが「宇沢弘文」だった。彼の名を知る人は多いけれども、彼の経済学、彼の思想に本当に触れた人は意外なほど少ない。
『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』(講談社、3月27日発売)では、宇沢弘文の思索の全貌を描こうと試みた。社会的共通資本の経済学を構築する過程で、宇沢はひとつの思想を生み出していた。ひとりでも多くの人に、生まれたばかりの思想に触れていただきたいと思っている。
(ささき みのる・ジャーナリスト。2019年3月22日号)