伊藤比呂美さんの話
小室等|2019年5月18日2:53PM
四月六日、神奈川県相模原市にある臨済宗の常福寺で、「常福寺ライブ ―be―『死を想え メメントモリ』」なるイベントがあった。
夜の部は、アルトサックス、尺八、二十五絃箏の演奏会と夜桜花見の宴。
昼の部は講演会。講演は、宮地眞理子(タレント・俳優)、伊藤比呂美(詩人)、両氏に並んでなぜか僕。手におえないテーマに僕はといえば、「メメントモリなんてモメントムリ」、などとダジャレなど飛ばしてみるが、お茶も濁らない。
それに引き換え、秘境を歩いた宮地さんの体験談、とりわけ比呂美さんの講演は僕の腑に落ちるものだった。
介護がはじまってまた好きになった(と講演の中では言っていたと思う)母が逝くのを比呂美さんは見送る。
母を見送った翌朝、母と並んで介護していた父が寝呆けるのを比呂美さんは聞いた。
「『おい、』
とすぐ近くの存在にはっきりした声で呼びかけて、父は言った。
『死ぬときゃ、あれかい、痛いかい?』」(『読み解き「般若心経」』朝日文庫より)
好きだった(と講演の中では言っていた)父も見送り、アメリカに住むイギリス人(たぶん)の、年老いた夫の最期も見送る。
母の、父の、夫の三人の下の世話はシャワートイレを使って素手で洗い流してあげた、などなど。生き死にの話のあと、比呂美さんは、人はみな平等に「いつか死ぬ、それまで生きる」のだから、そこから先の死については考えたり思い悩んだりする必要はないと言って、そのあと般若心経を唱えた。
僕はなんだか腑に落ちた。
そう、人はだれも平等に「死ぬ」まで「生きる」のだから、人の「死ぬ」まで「生きる」を認め合って、わざわざ殺しあったりせず、お互いの、「死ぬ」まで「生きる」、を見届けあって生きていけるといいのになと。
知っている、世の中、そんな子どもの理屈で動いていないことぐらい……。
一三〇億円もする戦闘機が墜落しても、同じ戦闘機を一〇〇機買い足すことをやめない“バカ”とその一〇〇機を押し売りする“バカ”がいるのがこの世の中だということぐらい。
「誰だってテロをやめさせたいと思っている。簡単なことです。参加するのをやめればいい」と言ったアメリカの言語学者の言葉を僕は思い出す。
僕はその学者の言葉に辛抱強く耳を傾けたい。
(こむろ ひとし・シンガーソングライター、2019年4月19日号)