日本は自動車危険大国
高橋伸彰|2019年5月26日7:00AM
本欄執筆者の一人、佐々木実氏が最近著した伝記(『資本主義と闘った男』)の主役・理論経済学者の宇沢弘文は、45年前の著作(『自動車の社会的費用』)で「日本における自動車交通のあり方が、世界のどのような国に比べても、歩行者にとって危険なものとなっている」と述べ、日本では「人々の市民的権利を侵害するようなかたちで自動車通行が認められ、許されている」と告発したが、その実態は変わっていない。
「自動車が一台通ると、人間の歩く余地がなくなってしまうような街路を、どのような意味で自動車が通る権利があるのだろうか」と、45年前に宇沢が抱いた疑問は現在に至っても解決されていないからである。
冒頭の事故は歩道と車道が分離された都心の交差点で発生し、住宅街の狭い街路とは道路の事情が違うようにも見える。しかし、青信号でも運転者の操作次第では安心して道路を横断できないとするなら、どんなに整備された道路でも歩行者や自転車乗用者にとっては宇沢が恐怖を覚えた狭い街路と同様に危険である。
ここで問われるのは運転者の自己責任に加え、自動車交通を管理する政府の公共的役割と、自動車の生産・販売を主業とする企業の社会的責任である。
運転者次第で暴走する危険がある1トンもの鉄の塊(=自動車)は交通弱者にとっては凶器に他ならない。そんな凶器が無防備な交通弱者と同じ生活空間を「勝手気まま」に走り回っているのが、日本における交通の現状である。
そう考えれば、政府は自動車交通の規制をもっと強化すべきだし、企業はより安全性の高い車の開発・生産と普及に努めるべきだ。少なくとも自動車の経済性や利便性を優先して歩行者の安全や安心を劣後にするかぎり、宇沢が目指したゆたかな社会は実現しないのである。
(たかはし のぶあき・立命館大学国際関係学部教授。2019年5月10日号)