映画で「改憲」と闘う井上淳一監督の情熱
西川伸一|2019年6月2日7:00AM
映画は女優・渡辺美佐子氏が日本国憲法を擬人化した「憲法くん」になって演じる一人芝居を、最初と最後のパートに配している。そして、中ほどには渡辺氏をはじめベテラン女優たちが、33年間も全国各地で続けてきた原爆朗読劇の公演の様子が映し出される。
この朗読劇は今年で最後になるそうだ。女優たちの体力的な問題もさることながら、公演によばれる機会が減ったのも大きな理由だと知ってやや気が滅入った。中学校や高校から声がかからないとのこと。ある女優が〈左翼だと思われてしまうのはおかしい〉と憤っていた。
原爆の悲惨さを後世に伝える表現活動に、なぜ政治的偏りを「忖度」してしまうのか。そうした時代の気分は確かにおかしい。「九条俳句」が「公平中立の立場から好ましくない」として、公民館だよりに掲載されなかった一件が頭に浮かんだ。また、別の女優は〈知らない方が楽だから〉と解説した。
確かに、戦争のむごたらしさなど具体的に知らないほうが、想像力が深まらず安穏とやりすごせるに違いない。こうした平板で批判的思考を麻痺させた人びとを、ドイツ出身のアメリカの哲学者マルクーゼは「一次元的人間」とよんだ。
改元をめぐる賛美一色で無批判な過熱報道は、まさに「一次元的人間」の拡大再生産に寄与したといえよう。そんな中、「天皇制の本質は差別である。今は権力を握る政治家が下品で高圧的。ゆえに皇族が品良く民主的に見えたりもするが、皇族個々の人間性と制度は分けて考えねばならない」との宮子あずさ氏の指摘には胸がすいた(5月6日付『東京新聞』)。
井上監督も〈1条から8条まではいらない。憲法は9条からはじまるべきだ〉と発言していた。まったくそのとおりである。ただ、それを聞いて〈よく言えたな〉と感心した私も、時代の気分に相当毒されていると気づいた。
さて、この映画の圧巻は、「憲法くん」に扮した渡辺氏が643字に及ぶ日本国憲法前文を暗唱するシーンである。最初と最後に1回ずつ出てくる。撮影当時の渡辺氏は85歳だった。それを思うと、彼女の戦争体験からくる魂のほとばしりのように聞こえた。
(にしかわ しんいち・明治大学教授。2019年5月17日号)