医療に「市場」はなじまない
佐々木実|2019年6月9日7:00AM
5月9日、品川プリンスホテルで行なわれたシンポジウム「社会的共通資本としての医療」(『日経新聞』などが主催)を聴講してきた。拙著「資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界」を著す過程でお世話になった宇沢弘文の長女で医師の占部まり氏の講演を聴くのが目的だった。
まりさん(普段どおりそう呼ばせていただく)は、宇沢弘文が唱えた〈社会的共通資本〉の概念を的確に捉えている。てっきり父親の著作を深く読み込んだからだとばかりおもっていたけれど、講演を聴き認識を改めた。むしろ、医師としてのご自分の体験から社会的共通資本の考えを自分なりに捉え直し深めたらしいことが感じられたからである。
宇沢は、医療を社会的共通資本の代表的な分野として重視した。宇沢の手強い論敵だったミルトン・フリードマンはかつて、医療は医師と患者の自由契約にもとづくべきで、医療への参入を制限する医師免許制には問題がある旨の主張をした。市場における自由競争によって、おのずとヤブ医者など淘汰されるという考え方だ。
フリードマンの「市場主義にもとづく医療」は、「社会的共通資本としての医療」の対極にある。両者の違いを、宇沢門下生の間宮陽介教授が「社会的共通資本の思想」(『現代思想』2015年3月臨時増刊号)で解説している。
フリードマン流「医療の市場モデル」においては、医者は医療サービスの供給者であり、患者は需要者である。つまり、医者と患者は医療サービスを売買する関係にある。だとすれば、医師が治療する際、金銭的利益を優先させることもありえるし、それを非難するのは的外れということになる。